フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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幼稚園(3)
幼稚園での記憶は、あまり多くなかったですが、楽しかった思い出のひとつに、演劇がありました。
幼稚園での各クラスの発表会で、この日はもちろん、親が見に来ます。僕たちきく組は演劇でしたが、
他のクラスでは踊りをしているところもありました。でも、それ以外の発表はもう忘れてしまいましたが。
僕たちの演劇のテーマは、「みつばちまーやのぼうけん」です。色んな虫たちが出てくる(もちろん、
みつばちは一番多い)のですが、僕のやった役は、「とんぼ」です。話しの内容も忘れてしまいました。
なんでも、みつばちが色んな虫たちと出会い、また、強そうな「かぶとむし」も出て来て、そのあと、
強敵であるくもと虫たちが戦うような内容だったと思います。僕にとって、役であるとんぼが登場する
ときがとても楽しみでした。緊張もするけど、みんなの前に登場する時は他の多くの子供たちと同様、
ニコニコしてくるし嬉しいものです。
登場する時は歌とともに4種類の虫が出てきます。

 「ばった ばったは おどけもの   とんぼのめがねは よくみえる
  ひるまでねてる かめむしさん   ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」

あのころの歌詞やメロディーもはっきりと覚えています。
とんぼのうたのところで、たしかみんなにめがねを強調してみせると思います。幼稚園では、毎日の
ように劇の練習が行われました。
発表当日、親たちが見にやってきました。僕は母親に作ってもらったとんぼ用の茶色のチョッキを着て、
頭にはとんぼ用の触角かめがねか(形は忘れましたが)つけてもらいました。自分たちの演劇発表の準備を
する頃には、他のクラスの踊りの発表が行われていました。
そしていよいよ、演劇「みつばちまーやのぼうけん」が始まりました。初めに何匹かのみつばちがステージ
に出てきます。それからいよいよ、自分の番が回ってきました。

 「ばった ばったは おどけもの   とんぼのめがねは よくみえる
  ひるまでねてる かめむしさん   ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」

一生懸命めがねをみんなの前でアピールしました。
この発表を見に来た僕の親が喜んだのは言うまでもありません。親にとっては自分の子供が演劇の主人公
ですね。
僕にとって、初めて仲間と協力して作り上げたものでした。 フッジィ

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幼稚園(2)
幼稚園では、お昼は給食の日と弁当の日があって、
給食はパンやソーセージ、牛乳などのものが毎回でます。
弁当の日は、無論、親が作ってくれたお弁当を持って行く日です。
その日はいつも暖かいお茶が幼稚園からでます。
給食の日は、僕は牛乳が飲めないので(口に入れたらおえーっとなる)代わりに
僕だけジュースを出してもらいました。(当時は牛乳もジュースも同じ形のガラスの瓶でした)
パンも毎日種類が違うけど、そのころなぜかクリームパンに抵抗があって、クリームパンの日は
食べれたか食べられなかったか。今思えばあんなおいしいものなぜ?と思っていますが(笑)。
遊び時間はたいがい一人で遊んでいました。特に楽しい遊びというのもなかったのですが、
転がっているまり(ボールかな)で遊んだりしたような記憶があります。
いじめっこ(みたいな)子もいて、たまにちょっかいかけられたりすることもあります。
外にも遊び場があったような記憶もあります。
前回書いたように、毎日公共のバスを使って2〜3人の園児たちで行き来していました。
帰りは集団で、先生方に連れられてバス停まで行きます。また、雨が降った時など、たまに父親の車で
送り迎えしてもらう時もあります。
そんな中、ある雨の日、父親の車に乗って幼稚園まで送ってもらいました。
バスではないので、近道して幼稚園まで行きました。
その日の活動とおつとめが終わった後、帰りの時間にはすっかり天気が良くなっていました。
そして帰り道、(ここで事件が発生するのですが)
いつものように先生方に連れられて帰ることになりました。
僕は来るとき、今日どの道を通ってきたのか知っているので(車で送ってもらった時の近道です)、
帰りも同じ道を通って帰りたいと思いました。(ご飯つぶの記憶と同じように、同じ道を戻らないと、
二度と同じ道から帰れないという心配が出て来たのです)
しかし、当然のことながら、先生方の行く道は違う道で、来た道と帰り道の別れる場所に
段々近づいてきました。
そして、今度は来た道が段々遠のいて行き、思わず来た道の方へ自分だけ道を変えて進んで行きました。
先生が、「あっ、そっちへ行ったらだめ」と止めにかかりましたが、自分にはそれがいやでしょうがない。
必死になってもと来た道に戻ろうとしました。先生方は、一人だけ違う道へ行くのはもちろん危険なので、
必死に止めようとします。それでもその頃の僕は頑として譲りませんでした。
どんなに先生達がとめても、それでも言うこと聞かずに一人だけ違う道に行こうとする。
ついに、先生は僕の腕を引っぱってバス停まで行きました。そこにはずるずると引きずられながら
泣きわめく姿がありました。長靴や衣服は泥だらけ。
先生は心配して家まで連れて来てくれたのですが、相変わらず泣きじゃくる姿に、
親はとても心配していたのを覚えています。

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幼稚園
僕が物心ついたころ、親から「何歳?」と聞かれて指を4本出したのが何となく覚えている記憶です。
子供の頃は、大人が子供の可愛らしい所を見たくてよく「何歳?」と聞かれると思います。
僕が幼稚園児になったのはそれから1年後の5歳の時です。1年保育で早生まれでした。
自分のクラスはきく組で、先生の名前は今でも覚えています。
クラスは他に、すみれ組、ゆり組、さくら組、ことり組がありました。
当時、家の近くには幼稚園はなく、バス(幼稚園バスでなく公共の)で10分くらいと、
そこから歩いて5分くらい(10分くらいかな)にある幼稚園に通っていました。
子供のころは、こんな遠い所に通っているんだなんて思いました。
今思えば、親がついて行かないでよく安全に行けたもんだなんて思っていました。でも、
いつも2〜3人の同級生と一緒にバスで行ったので安全に行けたのでしょう。帰りは確か
幼稚園の先生方がバス停までみんなを送っていました。初めて、ひもで肩にかけるパス(バス定期券)を
使ったのもその時です。
そこの幼稚園は仏教で、毎日おつとめの時間がありました。
毎回、1人の男の子と女の子が仏壇に前にきて鐘を鳴らすのが習慣です。食事の前には必ず、
みんなで「ほとけさまいただきます」と、「みほとけさまいただきます」と言って、それから食べます。
自分は教会に行っていたのですが、宗教の違いはさほど気にせずに一緒にやっていました。
「ほとけさま」と「みほとけさま」となぜ2つあるのか、今頃になって疑問になりましたが、その当時、
仏壇に2つの写真が飾ってあり、(ちゃんと別々の御方のようです)ほとけさまの顔が、今思い出すと
「弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)」のようでした。みほとけさまは、何かこわい顔をしていたような記憶
があります。
幼稚園で他に何をやっていたのかは、たぶん一般のと同じだと思います。工作したり、歌を歌ったり、
自由な遊び時間(休み時間でしょうか)、月1回の、物語のスライド、季節の行事、おゆうぎ、演劇発表、
などなど…何となくだけど、覚えています。

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旅行の思い出
 子供の頃、とても懐かしい思い出の中に、旅行がありました。
一家4人での旅行もありましたが、他の人達と一緒に行った旅行が楽しかったです。
一緒に行ったのは、多くは親戚の人達(おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこ等)、
あと、父親がそのころ民生委員に入っていて、その委員の人達での旅行も年に一回くらいありました。
多くは、北海道内の温泉旅行(そう、道産子です)。僕が幼稚園くらいの年齢で、
登別温泉に行った事がありました。思い出に残ったことはいくつかありますが、
温泉が気持ちよかったとか、みんなで遊んで楽しかったとか、そういう思い出ではなく、
当時の僕は、エレベーターが好きで、旅館にあるエレベーターのランプ(数字の形の)が動いていく
様子をじっと見ていて、このドアの向こうにはどんな世界があるのだろうかなんて考えていました。
エレベーターの中に入ってボタンを操作し、動くのを見ることもたまらなく楽しかったです。
こちらのエレベーターは4階までだけど、あちらのエレベーターは5階まであるのはなぜだろう?
という素朴な疑問とかもあったのを覚えています。
思い出のもう一つは、何故か覚えている旅館の中で朝流れていたオルゴール。館内のスピーカーから
流れて来たのだが、とても気持ちが癒される。何か、癒しの世界の中に自分が飛び込んでいったような、
うまく表現できないが、そんな感じだ。その音色が、そのままその当時の思い出となって
今も心に残っています。
あと、民芸店(お土産屋さん)での買い物。アイヌの木彫りの人形、日本刀の形に作った
木製の刀のおもちゃ、振れば鳥の声が鳴るおもちゃ、扇子、ミニチュアの唐傘、木彫りの熊のついた
万年カレンダー(手前に回して逆さにすると、裏側にも窓があり、そこに次の日にちが自動的に出てくる、
回すと順番に次の日にちが出てくるカレンダー)、などなど、
お土産の種類もほとんど忘れ、また、他の地のおみやげと混同しているものもあるかもしれないけど、
あの雰囲気がなんか懐かしいです。(こうしか表現できないけど、わかるかな?この気持ち)
オルゴールの話に戻りますが、中学生くらいになって、偶然ラジオで同じものが流れていて、
はっきり思い出しました。朝の5時半からNHKラジオ放送が始まる前にいつも流れてくるオルゴールで、
数十年経った今でも、未だに変わらなく流れています。 フッジィ

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世間話(2)
親戚は父方も母方も同じ市内に住んでいましたが、うちの場合は、特に母方の親戚が来ることが多いです。
まあ、大抵の場合は母方の方が多いのではないかと思いますが。
ある日、(確か親戚だったと思いますが)家に遊びにきて、母親と女同士で世間話をしていました。
女同士の話は僕にとってはあまり面白くはなかったですが、僕も横から何となく聞いていました。
母が次のような話をしていました。
「○○のおばさんに、□□が、☆☆をちょうだいと言って、最初いたましくて(惜しくて)
少ししかあげなかったが、もっとちょうだいと怒ったら、しぶしぶそれもあげた。」
話の内容はもうはっきりと覚えていないので、大体こんな内容だったと思います。
おそらく、ケチなおばさんに対してずうずうしい性格の人がものをねだっている様子を
言ったものなのでしょうが、それを聞いた僕は泣き出してしまいました。

母親は心配して、なぜ泣いているのか聞いてみましたが、うまく返事ができない。
後で、母親が「言葉で言えないなら書いてみたら」と言ったので、書いてみました。

『おばさんはじぶんのものをあげたくないのに、ちょうだいちょうだいといわれて、
しぶしぶあげたのがかわいそうだったから』

ああ、そうかと親はわかってくれました。

僕にとっては、「しぶしぶあげた」という言葉から、そのおばさんがとても悲しんでいるという
ふうに想像したのでした。

子供ながらの気持ちなんでしょうが、よく自分では誤解して、
「あの人はこういうところが気に入らない」と怒って責めた時に、予期せず相手が悲しんで、
更にはこちらにゆるしを求めるような行動をとるときって、自分の心がすごく痛んで、
怒ったことを後悔することがあります。
自分ではこれを「心の痛み」と呼んでいますが、(わかりますでしょうか?)
このような経験もこれから時々、起こってくるのです。

フッジィ

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プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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