フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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夫婦喧嘩
誰でも一度は、
「あなたの一番尊敬している人は?」と聞かれたことがあるだろう。
その返事も、
「発明家エジソン」
「福沢諭吉」
「○○スポーツ選手」
「学校の先生」
「坂本龍馬」
「あいだみつを」
「近所に住んでいる知人」
など様々だが、
「父親」「母親」「両親」
と答えた人も少なくないだろう。
僕もまた、両親を尊敬している人の一人である。
尊敬している理由は色々ある。
うちの両親はどちらかというと子煩悩で
いつも子供達を可愛がってくれ、子育てに一心だった。
そのおかげか、僕はいつも親を信頼し、親の存在は何よりだった。

僕がまだ、小学校低学年の頃だと思う。
今はもう、うちの両親は仲のいい夫婦だが、
その頃の僕から見た両親は、仲は普通。いや、喧嘩をしていることも多かった。
うちは自営業なので、父も母もいつも家にいる。
夫婦喧嘩も、子供達が起きている間にすることもあった。

そんなある日、かなり長い喧嘩が起こった。
いつもなら半日~1日くらいで元の調子に戻っていたが、
その時はなかなか治まらなかった。
喧嘩は次の日も続いた。
何日続いたかは覚えていないが、
僕は弟はとても不安になった。
自分にとって絶対的な存在であった両親が、仲の悪い状況が続くということは
この先どうなるのかと心配になってくるということである。

そんなある時、
病院へ行くためだったか配達について行ったときだったか覚えていないが
僕は車の助手席に、父の隣に座った。
いつものように、運転する前に安全を願うためお祈りする父は、
「天のお父様…
 …今、お母さんとうまくいきませんが、…助けて下さい。」
というような祈りをしていた。
僕がその立場だったら、恥ずかしくてとてもそんなお祈りはできなかっただろう。
父親の、普段見ない一面を見る機会だった。

それからほどなくして、夫婦喧嘩は治まり、仲良くやっている両親の姿を
見ることができた。
あとから聞いてみたら、母も、自分の悪いところを謝っていたそうだ。
僕も母親の肩を持つ子供だっただけに、母親からのその言葉は意外だった。

両親は、僕にとって尊敬する存在である。

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太郎の冒険
前回のカセットテープにまつわる話の続きである。

僕もカセットテープレコーダーに夢中になっていた頃、
父が自分で作った話をしながら、カセットテープに録音していた。
僕と弟が、ふざけながら父の周りで遊んでいた。
その中で、父が話したお話の内容は、次のようであった。

 「さぁ、太郎の冒険のはじまりはじまり~」

僕は、その頃持っていた、ねじ巻き式の超特急ひかり号(新幹線)の
おもちゃで、ねじを巻いた後、父の話の間間に、
 「ガーーーーー」という、タイヤを空回しした音を入れてふざけていた。

 「昔、あるところに、太郎と次郎という男の子が住んでいました。
  太郎は、頭が良くて、そしてなかなか注意深くて、
  しっかりとした子供でした。
  次郎は、明朗快活で、奇抜な才能を持っていて、
  この二人の兄弟は本当に仲良しでした。」

おそらく、太郎と次郎は、僕たち兄弟のことを例えたものと思われる。

 「ある日のこと、太郎と次郎は、お弁当を持って、
  高い山の上に出かけました。
  道の途中で迷ってしまい、二人は、寂しくなりましたが、
  元気に山の上を歩いて行きました。
  お日様は、山の向こうに沈んでしまい、
  暗い夜の闇が、深い谷(?)に迫ってくる。
  ちょうどそのとき、真っ黒な影をした大きな何者かが、
  天空高くから、ピューーーーーーーーー」

 「太郎と次郎は、宵闇迫る深い谷底の中に
  そのあおりを食って真っ逆さまに落ちてしまいました。

  ドドドドドドーーーーーーーン

  それから、しばらくして、

  ポトン… ポトン…
  顔の上に落ちてくる冷たいもののために、
  太郎は目を覚ましました。
  『あーここはどこなのかな。僕は、どこへ来たのかな。』
  太郎が目を覚ましたとき、もう、朝になっていました。
  木や草から落ちて来る水玉が、太郎の顔に当たったのです。
  『そうだ、僕たちは、山のてっぺんから落とされたんだった。
  次郎はどこへ行ったんだろう、次郎、次郎はどこへ行ったんだい。』

  『へー 僕こっちだよ。あー あー』
  太郎が見上げると、松の木の枝に引っかかっていました。」

 「太郎は、ようやっとのことで、次郎を救い出すことができました。
  『でも、あれはいったいなんだったんだろうな。』
  『そうだな、僕たちを襲ったあの真っ黒い影はいったいなんだったん
  だろうな。すごかったな。』
  と言うような話をしていた時でした。

   ドシン… ドシン… ドシン… ドシン…
   ドシン… ドシン… ドシン… ドシン…

  もう、大地を揺るがすような大きな地響きがして、
  何者かが二人の前に近づいてきます。

  後は来週のお楽しみ。」

以上、父親が話したお話である。
残念ながら、そのカセットテープはどこに行ったのか
わからなくなり、ここに書いたのは、記憶をできるだけ正確に
書き綴ったものである。
この他にも、父はハーモニカを吹いたものを録ったり、
僕の作った段ボールのロボットがしゃべる話を録ったりした。
それにしても、太郎の冒険の続きはどうなるのか、
父は来週の楽しみと言っていたが、
それはいまだに謎である。
僕たちに続きを作ってと父は言ったので、
大きな真っ黒いものを、熊という設定で続きを考えたが、
結局その話も立ち消えとなった。

懐かしい、子供の頃の思い出である。

フッジィ


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カセットテープ
CDやビデオ、DVDもまだお目にかけなかったころ、
画期的なAV機器はやはりカセットテープだろう。

機械から何回も同じ音を出せるものは小さいころはレコードくらいしか
見たことがなく、それも有名な人の声や音楽だけなので、
我々一般庶民の声を機械から出せるのは僕にとって画期的なものだった。
初めて録音した自分の声を聞いたとき、驚いた経験を今でも覚えている。

もっとも、大きなテープレコーダーは見たことがある。
昔の大きなテープを機械にかけて、音や声を聞くのだが、
子供の頃の僕にとってかけ方は難しく、失敗して切れさせそうでいやだったが、
カセットテープは、もっと小さなテープの入ったカセットを入れるだけだ。
簡単で声を入れるのも自由自在である。

我が家にカセットテープレコーダーが入ったのもこのころで、
親戚から中古のもらいものだった。
そのころのはまだボタンではなく、つまみをひねって再生、早送り、
逆にひねれば巻き戻しする形式で、赤い録音ボタンを押しながら
再生にすると録音が始まる。四角いマイクにもリモコンスイッチが
ついていて、一時停止/解除ができるものだった。

色々な音楽の入ったテープも聞いていたが、
よく自分の声や家族の声も録音していた。
家庭の夕べとかにも本の物語等を朗読して録音したり、
家族みんなの声をかわるがわる入れたりもしていた。
また、僕もよく自分で何かしゃべって録音していた。

そんな中、父が自分で物語を作って、録音したことがあった。
僕にとって面白かったし、懐かしいので、次の記事に書こうと思う。


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紙雛
1年はあっという間で、3月。

最近、風物詩の連続になっているが、僕が風物詩好きということで
紹介する意味でも、あえてそういう記事を書こうと思う。

日本で有名な3月の行事は、もちろん桃の節句のひな祭り。
女の子達が祝い、ひな人形を飾り、白酒やお菓子をいただくというもの。
あのひな人形はきれいで、見事である。
現代のひな人形のスタイルはあまり知らないが、
恐らくケースに入った内裏雛(2体だけ)か、大きくても
五人ばやしまでが一般的だろう。ひな人形を飾らない家庭も多いと思う。

そのころは、ひな人形は七段飾りが一般的で、人形も15体、細かい
飾り、ミニチュアの嫁入り道具など実によくできているものだった。
ちょっとした贅沢品である。
お金持ちもしくはそれなりにお金のある家で女の子のいる家庭では、
多くの人が七段飾りを持っていたのだろう。小学校でもひな人形は飾られた。
ぼんぼりは回り燈籠、火鉢か名札の中に、ひな祭りの歌のオルゴールが
入っているのも見事なものだった。

僕が初めてひな人形の存在を知ったのも、幼稚園か小学生低学年くらい。
うちの床の間に飾っていた。
…といっても、うちには女の子がいない。また、たぶんひな人形を
買えるだけの経済状況でなかった。
うちのひな人形は母の手作りで、厚紙で顔と胴体を作り、
衣裳は千代紙で貼ったものだった。
しかし、僕はそれが大変気に入った。
女の子がいないのになぜ、と思われるかもしれないが、
母は、私(女の子)がいると言ってくれたし、
僕もこのような飾り付けが好きであったので、
さほど気にしていなかった。
(そのころの「天才バカボン」でも、バカボンがひな飾りを見て
とても気に入り、うちでも欲しいと言ったシーンがある位である。
あまり関係ないか 笑)
ちなみに、ぼんぼりの部分はヤクルトの容器を真ん中で切って
下の部分に手芸用のピンクの紙を貼って作られた。
橘や桜もちゃんとあったが、嫁入り道具一式はなかった。

それらのひな人形は毎年飾っていた。
いつの日かそれらは処分され、なくなったが今度は
母が紙粘土ときれを使ってまた内裏雛を作った。
それもネズミにかじられたかしてすぐになくなった。

いつか自分も、本物のようなひな人形を作ってみようと思っていた。

僕にとってのひな人形の思い出である。

現代の人々も、昔と変わらず風物詩を大切にして欲しいと感じている。

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鬼の訪問
正月も20日を過ぎれば、繭玉を片付けたりして
楽しかったお正月の雰囲気は姿を消してしまい、
学校の授業や勉強等現実の雰囲気が戻ってくる。
その後で、2月になればちょっと楽しい行事がやってくる。

節分である。

御存じの通り、2月3日(4日のときも)、
「福は内、鬼は外」(一部の寺では「鬼は内」というところも)
のかけ声とともに、鬼の役(普通父親)が
豆をぶつけられて逃げて行き、福を呼ぶという行事である。

また、炒った大豆を家のあちこちにまいて歩く、
部屋に豆が共存することが妙に楽しく感じた。

また炒り豆は年の数だけ食べ、その他にも
えびす豆、ぎんなん豆、うぐいす豆、チョコ玉等も
特別に用意され、それらを食べるのも楽しみだった。

うちでは、節分は家庭の夕べの活動としてもやっていた。

ある節分の日、昼間ではあるが、うちの店に鬼がやってきた。
確か4人から6人くらいであったが、
それはうちの教会の宣教師達だった。
彼らはみなアメリカ人で、みな手作りのお面を着けてきた。
宣教師は皆、日本の人達とフレンドリーで、
うちの家族とも特に親しくしてくれた。
僕は、彼らアメリカ人が、日本の行事を自分たちもまねした
ことに、ちょっと可笑しくてなぜか安心感があった。
彼らのユーモアなセンスが好きだった。

そのお面はみんな、僕たちにくれた。
僕はそのお面を部屋に飾り、桃太郎ごっこをして楽しんだ。
スーパー等のお店にあるようなかわいい鬼とはちょっと違い、
アメリカの人が書くような、もっとごつくてこわい顔の鬼の面が、
今もおぼろげに記憶として残っている。

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フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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