フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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大正琴(2)
…前回の記事の続きを言わねばなるまい。

それから、しばらくたったある日。

親戚の集まりで、僕の家族みんなが母方の実家に集まった。

なんの目的で集まったか憶えてはいないが、
子供の頃の当時は、しょっ中行ったり来たりしていたのであった。

みんなでごはんを食べて、色々おしゃべりして、
子供達は子供達同士で遊ぶ時間になったころ、
僕は、この家にあったあの珍しい楽器で遊びたくなった。

「あの、この前のドレミで弾けるギターみたいのやりたい!」

と、僕はそこの親戚の人達に言った。
この時、僕は、この前見せてくれた叔父に直接言ったのではなかったのだろう。
その家のおばや他の親戚も、僕の言ったものが何なのか、
わからないかの様子だった。

以前に書いた記事の中で、小さい電球をはめ込んで
光る絵を作るおもちゃの話があるが、親戚の家にあるそれを使おうとしたら
親からだめってとめられ、「これ、貸して。」とも自分で言えずに
それまでになったという内容だった。
今回の大正琴の件でも、
その親戚は僕のやりたいものが何かわからなかったか
あるいは、大正琴とわかったがその日は貸したくはなかったか
結局、その大正琴を貸してあげるという話には進まなかった。
母親も、ついにはとめるに至ったが、
僕はがんとして言うことを聞かず、
「あれやりたい! あれやりたい!!」の一点張りだった。

ついに、母親は怒って、僕を連れて帰ることになった。
引っぱられながらも、ずっと駄々をこねていた。
急いで叔父は、ウクレレを持って来た。
「これじゃない!! これじゃない!!」と
泣きじゃくりながら、車に乗せられたことを憶えている。

言うまでもなく、車の中で母親はすごく怒っていた。
「この楽器、すぐにぶっ返すからね!!」と言っていたが、
そのウクレレはその家には戻らず、処分するまでずっとうちに置いてあった。

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大正琴
それはまだ、僕が幼稚園か小学校低学年の頃であったかと思う。
(出だしを読んで3年生時代の話でないかと思われるが、最後まで見て下さい。)

子供の頃は、家から離れた所へ遊びに出かけたり、一泊してくる事は
僕にとっての特別な思い出の一つであった。
特に、いつも寝ている所でない別の土地で寝ることは、いつも僕にとって
なんともいえない特別な感情がわいて来るのであった。

その日は一泊したのか、日帰りだったか覚えていないが、
たしか明るいときで、中庭みたいなところでご飯を食べていたときであった。

その店には、「○○ビール」と書いてある提灯が並んで吊り下げられていた。
ビアガーデンみたいな、そんな感じの場所だったのであるが、
僕はその提灯が欲しくなり、

「ちょうちんちょうだい!! ちょうちんちょうだい!!」

と何回も言っていたのを覚えている。

お店の人は、1個、僕に提灯をくれた。

それを家でみた時、明るくなるものが入っていないので、
「このちょうちん、火をつけるものが入ってない。」
というような事を言った記憶があり、
懐かしい思い出であった。

幼稚園くらいの頃は、欲しいもの、やりたいことをなかなか
自分から言えなかったのだが、
よくよく思い出をたどってみると、
僕にとって珍しいもの、興味を持ったものの中には、
ごく自然に自己主張できたものもあったのだな、と、
今しみじみ思うのである。
しかし、この自己主張がこじれてしまうと、
どうにもならなくなってしまい問題が起きるということを、
これからお話していきたいと思う。

話は3年生の時代に戻るが…。

前にも書いたかもしれないが、大人になるまでの間、
よく遊びに行っていた家は、母方のおじいちゃんおばあちゃんの家だった。
家から、バスや車で5分ちょっとくらいの所で、
幼稚園からも近い所だった。
高校の頃も、塾がそこの近くにあったので、
帰りがけによく寄ったこともあった。
だから、実は今日話すことについても、
小学3年生の時のことだったかよく憶えていない(苦笑)。
でも、そのころの話と思って書くことにする。

いつものように、その家では楽しい時間を過ごしていた。
昼寝をして、気がついた頃には部屋の中が暗くなっていた。
1階では、おばあちゃんが食事の用意をしているらしく、
食器同士がぶつかってチンチンという音が聞こえて来た。

起きた時に、叔父がきて、僕にある珍しいものを見せてくれた。

ギターみたいに弦がいくつもついているが、
ビアノのように鍵盤がついていている楽器だった。

叔父が、弾き方を見せてくれた。

その丸い、小さな鍵盤の、「ド」を押して、
そばにある弦を「ピーン」と弾いた。

「おおー、すごい」

ピアノとギターが一緒になった、画期的な楽器であった。

そのあと、僕はそれを何回も引いてみた。
いろんなおとを出し、曲を弾いた。
ギターよりも簡単なので、面白かった。

あとになって、「大正琴」とわかったその楽器、
僕の心をわくわくさせたものの一つとなったのであった。(続く)


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ドッジボール
それは3年生になった時の、ある体育の授業でのことだった。

僕の小学校時代は、自分のクラスではほとんどの科目を
担任の教師が教えていたが、専門の教師が教えていた科目もあった。

音楽と体育である。

音楽は、1年から6年まで、専門の先生が教えていた。
しかし、体育を教えていた教師は、1人を除いて
覚えている人はいなかった。

その1人の教師こそ、今回、僕のいる3年1組の担任なのである。

前にもお話ししたように、今度の担任は体育系で、とても厳しい
ということで知られていた。

僕にとって、それは、あの牛乳事件に続く、嫌な時間の1つと
なっていくのであった。

その日は、ドッジボールの授業だった。
先生が生徒達に、ドッジボールのルールを1つ1つ説明した。
2年生以前のときも、ドッジボールのスポーツは聞いたことがあるが、
そのころ僕は、外のグランドでボールを蹴って前へ進んで行く(ドリブル?)
授業を受けていた時にその名前を聞いていたからか、
そのスポーツをドッジボールと勘違いしていた。
当然ながら、今回教わったルールは自分のイメージと全く違っていた。

「初めから外野の人を3人つける。そして、相手チームの内野陣に
ボールをぶつける…。」
「ぶつけられた人はここの線から斜めに通って外へ出る…。」
「外へ出た人は、相手チームの誰かにボールをぶつけたら中に
戻れる。元から外野の人がぶつけた場合、代わりの人が入れる…。」

一つ一つ、説明を受けてから、次にいよいよ実践となった。

想像が用意であると思うが、僕はスポーツが苦手で遅い。つまり
ボールに当たる確率も高い。
あっと言う間に、ボールを当てられてしまった。
その時、当たったボールは痛かった。というよりも、
狙われて当てられる瞬間が怖くなった。

しかし、それだけではなかった。

僕は、先生が説明したことを、理解することは用意でなかった。
また、事が起こった時に、次にどう動けばいいか、それができずに
オロオロしている事が多かった。頭真っ白、パニックというやつである。

ボールを当てられたあと、担任の一喝が、

「何でこっから出ないんだ!!」

意味がわからなかった。

「こっから出れと行ってるだろ!!」

その言い方が怖くて、何とか言われた通りにやろうとしたが、

「ここを通って出ろと言ってんだ!!!」



「何べん同じこと言わせてるんだ、ここを通って出ろと言ってんだ!!」



ボールを当てられた時、コートの中心の線の端を、斜めに出るという事を
言っているのだが、あれだけ急かされると、かえってわけもわからなくなり
パニックになるばかりであった。

その一件があって以来、僕はドッジボールが大嫌いになり、
当てられることが恐怖となりコートの外へ逃げ出すようになった。
しかし、いじめっ子たちが、「何で逃げるんだよ!!」と
怒り始め、みんなから引きずられてコートに入れられるのであった。

早く、この授業修了しないかな、と思った。

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趣味(2)
毎年、新学年になると楽しみだったものがある。
雪が解けてうらの畑(と呼んでいるうらの庭)の段になっている所に
毎年雪解けの水が小川となってちょろちょろ流れて来るのも
その頃で楽しみの一つであった。
また、以前にも書いたが、新しい教科書がでてくる時期、
それもまた楽しみの一つであった。
毎年、来たばかりの新しい教科書を見ると、早く中が見たくなり、
興味ある科目は授業を受けるよりも先に勉強したくなる。
その頃は、理科の実験が載っている教科書に興味があった。

この頃(確か3年生くらいの頃だったと思う)の自分の趣味の一つは、
「小学○年生」の付録を作ること。
そのころ流行ったアニメのフィルムがあって、後ろから豆電球を
照らしてスライドみたいに壁に映し出す付録があり、映画ごっこ
をした思い出がある。昼間にやろうとしても、暗い部屋がないので
うまくできない。やっと押し入れを見つけてその中でやったり、
あと、夜にやって親に見せたりする。
その時は、家庭の夕べで影絵をやったりするのも楽しい思い出だった。

そのほかには、そのころG社の「○年の学習」「○年の科学」というのがあって、
よく読んでいたが、特に「科学」の付録を作るのが楽しくて好きだった。
しかし、それら雑誌関係の付録を作る時、作り方の説明書の意味が
わからずうまく作れなかったり、失敗して完成できなかったものが半数、
できあがってもすぐ壊れて使えなくなるものが残りのうちの半数あり、
最後まで残ったものについても、しまいにはあきてしまい、いつのまにか
処分されてしまう(もちろん了承してからだが)結果になるのである。
G社雑誌は、まんがを見ながら覚えたので、結構勉強になって役に立った。

これらの雑誌は、小学校を卒業するまで毎月与えられ、
うちに届くのをいつも楽しみにしていたものであった。

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牛乳
「ほらっ! 飲め!!」

髪の毛をつかまれ、無理やりびんの牛乳を突き出す担任。

牛乳のしずくが髪の毛に白くついた。

飲めない牛乳を、無理やり飲まされて泣いているのは、
この前転校したばかりの女子だった。


そして…


「○○(転校生の女子)は飲めるようになったんだぞ!!
 なぜおまえは飲めないんだ!!」


ある、給食の時間だった。

2人、確かその場で立たされたと思う。

牛乳の飲めない人は、飲めるようになるまで無理やり飲まそうとするのだった。
担任の教師は厳しく、飲めない事にどやしつけていた。


今の子供たちにとっては、とんでもない光景に思われるかもしれないが、

当時は好き嫌いがあり、1人を許す事は他の生徒達にとって不公平であり、
他の人達も好きでないのを頑張って食べたり飲んだりしているので、
わがままは許されないというものである。

確かに、それもそうであるが。

しかし、その牛乳は、僕にとっては腹に合わないと言うものでなく、
臭いも味も、ちょっと感じただけで、吐き気をもよおす飲み物なのである。

しかし、その当時は先生に対して口出しする事も、自分の気持ちを話す事も、
できるような状況ではなかった。

転校生の女の子は、それ1回きりですんだ。

しかし、僕は、全く飲めなかったので、何回も痛い目にあった。
この恐ろしい嵐が、早く過ぎ去ることを願いながらじっと耐えていた。

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プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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