フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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クイズごっこ
小学校に入って4年。
この4年間だけでも、僕にとってとても長い時間であり、
また色々な経験をした。
楽しかったこと、いやだったこと、色々あった。
今になっては、みんな懐かしい笑い話だが…

今年に入って、大きな新しい出来事と言えば…
そう、弟が小学校に入学したことである。
弟とは学年が3つ違いだが、
僕が早生まれと言うこともあり、実質、年は4つほど
離れていて、そのせいか、比較的兄弟喧嘩は少なく、
仲の良い方だったと記憶している。

こどものころは、よく僕の言うことをまねしてみたり、
僕の好きなことや話題に顔をのぞかせたりしていた。
そのころは、よく弟と遊んだ。(遊び相手になったという
よりも一緒に遊んだと言う方が近いかもしれないが)
自分で作ったお話(物語)を、よく弟に聞かせたりした。
また、兄弟同士でよく、ふざけたり面白いことを
話してみたりやっていた思い出もあった。
テレビでやっていた面白いセリフを
まねしてふざけあってみたりはよくやっていた。

クイズごっこも、その一つであった。
ある日、僕はクイズの司会者みたくしゃべりながら
弟にクイズを出してみた。
内容についてはもう憶えてはいないが、
確か、3択問題みたいなのだったと思う。
問題を出して弟が何か答えると、
僕はその後に、「正解は…」と言ってその答えを
言う、というようなものである。

初めてやったとき、「これは面白い」と思った。
それからしばらくは、この遊びが続いて、
色んなクイズを考えて楽しんだ。

ある日、何かの用事で、弟とバスに乗った。
バスの中でも、僕は何問か弟にクイズを出した。
弟が答えると、「正解は…」と言って、
僕が答えを出した。心の中では、
「いやぁ、これ楽しいなー」って
ワクワクしていたのを憶えている。



ある、学校の帰り道。

僕の後ろから、2~3人の男子生徒がやってきた。
「おい、おまえ、こないだのバスの中でのあれ何よ。」
その後、みんな一斉に、
「せ・い・か・い・は!」
って言ってきた。

その後も、そのいじめっ子からのからかいはしばらく続き、
僕はクイズごっこが恥ずかしくなり、
それから一切クイズごっこをやらなくなった。

また、そういったたぐいの遊びは、普通の子供はやらないものだ、
というイメージがだんだん自分の頭の中で広がって行くのであった。

フッジィ
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炊事遠足
小学校高学年になって、今までやったことのなかった
初めての楽しい活動があった。
炊事遠足で、たしか高学年になってから
毎年やったと思う。

目的地は、かつての遠足で、う○ち事件のあった
うちの近くのあの海岸だった。

しかし、この時期は、楽しい仲間もたくさんいて、
みんなでわいわいできたので、
僕にとっては楽しい思い出として
今も記憶に残っている。

いくつか班を作り、みんなそれぞれ持ち物を
分担して用意した。
4年生の時は、確かジンギスカンだった。
持ち物は、ジンギスカンの肉(ラム)、玉ねぎ、人参、ピーマン、
もやし、じゃがいも、なす(僕には意表だったが)などの食材、
ジンギスカン鍋(鉄かぶと)、山から集めた薪、古新聞、マッチ、
たき付け、脂(食材を焼く前に焼いて油を出す脂肪分)、たれ、
割り箸、コップやアルミ皿など、様々だ。あとは各自おにぎり。

5年になると、確かみんなでカレーを作った記憶がある。
6年は忘れたが、とにかく楽しい思い出だった。

その日も、天気のいい夏の時だった。
当時もめいめい、分担して持ち物を運んだ。
薪や鉄かぶとなどの、重いものは体格ガッチリの
ズビビマンことT君が持った。

目的地についてから、かまどだってみんなで作った。
そばにある岩を集めて、三方に置いて、上に鍋を乗せる。
安定が悪かったら、岩の選び直しだ。
ガスや固形燃料のような贅沢なものは使わず、
新聞やたき付けで薪を燃やした。
木の焼ける匂いが良かった。
脂や肉を乗せると、一気にジュージュー焼けてきた。
野菜は女子のみんなが切った。

焼いた肉や野菜をジンギスカンのたれにつけて食べたら格別だった。
おにぎりと一緒に食べたらまた美味かった。
意表をつかれたなすびもまた食べた。

あの、潮の匂いと焼いたジンギスカンの匂いは、何て馬が合うんだろう。
今も、忘れずに記憶に残っている。

お腹いっぱいになって、後片付けに入った。
あんなに熱かったジンギスカン鍋、水をかけて海に入れたら、
あっという間にぬるくなった。しかし、水をかけた岩、
泡を吹きながらジュージューいって水が引いた後、
もう一度水をかけたらまたジュージューいった。
あとになってから悟ったが、これがいわゆる、「焼け石に水」だ。

突然、他の班の方から、「パーーーーーン!!」という音が聞こえた。
木がはぜた音で、みんなびっくり。
そうしたら、今度はこっちも「バーーーーン!!」
「バリン!!」とガラスの割れるような音もして、こっちもびっくり。

新しい体験に、たくさんいい思い出が残った。

この記事を書いてたら、また炊事遠足がしてみたくなった。

今度やろう。

フッジィ

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猩紅熱(3)
病気になった時のもう一つの楽しみ、
それは、食事だった。
入院患者みたく、食事の時間になると、
よく母が寝床まで持ってきてくれた。
お盆の上に、色々なものがのっていて、
ちょっとした、僕特製の料理だった。
今思うと、当時、子育て大変だったろうなと
しみじみ感じている。

この猩紅熱、今まで僕がした病気の中では、
最も治るのに時間がかかる病気だった。

なかなか治らないうちに、
ついに父親も熱を出した。
僕が言うこと聞かないでいつも
布団から手を出したり遊んでたりしていたから
病気が治らない上に、うつしてしまったかなと
後悔したのを記憶している。
でもさすがに父親は、
大人だったからか、あるいはしっかり寝たからか
2~3日で治った。
もっとも、猩紅熱かどうかわからないのであるが。


「では、今日はお風呂に入ってみましょう」

先生の診断だった。
僕はこれを母親から聞いたが、
当時の自分の常識から、
まだ治っていないのにお風呂入ってもいいの?と
自分の耳を疑った。でも、身体にできているぶつぶつのもの
を落とすため、お風呂に入るということらしかった。
風呂に入ったら、自分の身体は何ともなかったことに気づいた。

それから、病気は徐々に治っていき、
僕の心もやっと安心ができるようになった。


…それからしばらくして、

あの、ベストテン北海道のDJと同じ声の人がテレビのCMに出た。
僕はすぐに同じ声だとわかった。それがあの、MR.デーブマン
こと高田文之である。

 イメージしてた顔と全然違うな…


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猩紅熱(2)
この病気の内容を聞かされ、何かすごく恐ろしい病気という
思いが僕に生じた。今は、抗生物質もあり、比較的早く治るもの
だそうだが、当時は法定伝染病だそうだった(ネットで調べましたが)。

「重い伝染病で、本当は山の病院まで行って隔離しなきゃならないんだよ。」

母親からは何度もそう言われた。
何しろ、じっと布団の中で耐えていなければならないというのは、
子供のころの僕にとってはいやでしょうがないことであった。

伝染病なので、人に移る恐ろしい病気、
高熱がでる病気、

そんなようなことをいつも聞かされ、
すごく自分の身体のことが心配になった。

布団の中が暑いので、腕を出したりしたら
よく叱られたものだった。


病気は長く続いた。


弟も、うつると怖いので、と、近寄らせなかったので、
普段はほとんど一人で布団の中だった。

街の病院に、行ったり来たりの日が続いた。


病気、治るんだろうかと、ずっと不安だった。

いつ、山の病院に行かされるんだろう、と、気になった。

そんな中、僕は寝ながら、よく聞いていたものがあった。
当時、ラジオでよく流れていた、「ベスト10北海道」である。

床屋でよく流れて来た、夕方4時台のラジオ放送であり、
だんだん家でも聞くことが多くなった。
親戚からもらったステレオがそばにあったので、
AMつけてよく寝ながら聞いていた。

今日のベスト1位!!
「レコード・有線・ハガキで○位、テレホン○位、トータル○○○ポイント
西城秀樹『ヤングマン』第1位!!」

あ!やっぱり、今日も西城秀樹だ!!
毎日の人気の移り変わりをみて、
今日は誰がベスト1位かを当てるのが楽しみだった。

およげ!たいやきくんがベスト10に入った時期もあった。

毎日が退屈でしょうがなかった時に、たった1つの
自分の心の楽しみだった。

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猩紅熱
いつの頃だったかよく覚えていないが、
新学年になり、新しい先生の授業も慣れてきた頃だったと思う。

ある日、一人の生徒が学校を休んだ。

原因は、おたふく風邪である。

幼少時から小学校にかけて、この時期、子供は色んな病気に
かかって、免疫ができてくるという。
この頃も色んな病気で欠席する生徒が増えた。

はしか、みずぼうそう、おたふく風邪、蕁麻疹、ぜんそく、風疹…
伝染病も多かった。

別の日、今度は別の生徒が休んだ。

今度は風疹である。

風疹はこの頃のはやりの病で、
次々にこの病気で休む人が増えた。

僕は心の中で、
「いずれは僕もみんなと同じようにこの病気になるのかな」
と、思った。

僕はその頃はどちらかというと、よく病気になって学校を休む方だった。
咳をしたり、ちょっと寒気がすると言ったもんなら、
母親からすぐに、

「熱計んなさい!」

と言われた。
僕は、この熱計り(体温計)が大嫌いだった。
何しろ37度以上あると、すぐに布団に入れられるし、
予定していた遊びが中止になってしまうし、
その当時の水銀計を恐る恐る横から少しずつ
傾けながら見るのであった。

祖父が予定していた親族の旅行、
今度はすごくいいホテルに泊まれると聞いていて
喜んでいたのに、
僕の病気が治らなくて、行けなくなって
涙をのんだ時もあった。

風邪がはやって、学級閉鎖になったときも、
僕が病気になって休んでいる間だったし、
学級閉鎖が解除されても
僕の病気の治る方が遅かったといういやな思い出もあった。

だから、僕が病気になるとき、特に、
熱が上がっている時は
すごくいやな気持ちになったものである。

しかし、その頃はやりの風疹は、
どんな症状か全くわからなかったので、
周りで病気になった人が増えても
特に不安になったりすることはなかった。


それから少し経って…

ある日、僕は母に連れられて
家から少し離れた街の病院まで行った。
(このころは、近所に病院はなく、バスに乗って
街まで行かなければならなかった。)
当時の僕の症状は熱っぽかった。
自分はてっきり、風疹にかかったのではないかと
そのとき考えていた。

先生の診断で、
「えっ?」と思った。

「これは猩紅熱ですね。」
先生は言った。

聞いたことの無い病気である。
しかしそれからすぐ後に、この病気は
当時の僕にとってとんでもないやっかいな
病気だと言うことを告げられるのである。

(続く)


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フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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