フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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工作
今年もまた、夏休みに入り、
いつものと夏休みと変わらず行われる楽しい風物詩を
今年も堪能する僕であった。

そんな中、必ず悩まされるのが夏休みの宿題であった(苦笑)。
今年も、また配られた「夏休みのとも」(夏休みの敵)。
まあ、そんないやな話はよしといて…

今年の宿題には、工作の課題があった。
僕は、工作は好きな方だったので、これは比較的
とっかかりが早かった。
タイトルは、「ビー玉転がし」(本当の名前は忘れましたが)
段ボールの箱等にレールをつけたり穴を開けたりして
そのレールの上にビー玉を転がし、色んな所を通って
下まで行かせるというもの。

見本が2つ載っていて、
一つは上に説明した、段ボールにレールをつけているもので、
もう一つは、ひとつの塔の周りに螺旋状にレールをつけて
いるものだった。

僕は、最初前者を選んで作っていたが、難しかったので、
途中で後者のを作ることに考えが変わった。
しかし、こちらの方がもっと難しく、挫折。
再び、前者の方に取りかかった。

父親か母親が言った。

「この図のと同じだね。」

多分、オリジナルを作った方がいいという気持ちだったのだろうが
その頃の僕は、オリジナルにするのができなくて、
どうしても絵の通りになってしまった。

それに、なかなか完成できなくて、
終いには夏休みも終わり頃になってしまった。

「時間がない、間に合わない。」

最後には、またいつものように、親に手伝ってもらう始末。
頭が重くなり考える力もなく、僕は先に寝た。


次の日の朝、ビー玉転がしが出来上がっていた。
父親が仕上げをしてくれていたのである。
一番最後には、ラップの芯を2つに切って直角につないだ
面白いレールがついていて、そこをビー玉が通ったら
面白い音がした。

それがきっかけで、もっとビー玉転がしを作ってみようという
思いがわき上がり、夏休みが終わった後もいくつか自分の趣味で
ビー玉転がしを作ったのを憶えている。

僕の好きな工作の一つであった。

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おまつり
うちの住んでる街も、暑い季節になってくると、
いくつもおまつりがある。
よく「縁日」と言われてる、それだ。
僕がこの頃の風物詩で、楽しい思い出のひとつである。

今日は「水天宮」のおまつり。

次は「竜宮神社」。

そのつぎは「住吉神社」…と言う具合に、

何週間おきかに開催されるので
行ける日に行くことができるし、
余裕があれば2回、3回と行くこともできる。

僕もあそこでやってる出店でものを買ったり
遊んだりするのは好きだった。

学校では、この時期になると
おまつりに行くときの注意をよくしていた。
「お小遣いは○○○円まで」とか、
「やっていい遊び」と「やってはいけない遊び」とか、
危険に遭遇しないように、生徒や保護者に色々と注意を伝えていた。

僕もよく、親が連れて行ってくれた。
昼間、母親に連れて行ってもらったこともあるし、
夜のまつりに、家族みんなで行ったこともあった。
その時は、ちょっと離れた空き場所を探して
路駐してから神社まで浴衣姿で歩いて行ったのを思い出す。
下駄がからころ音をたてているのが懐かしかった。

好きだったお店は、まずは金魚すくい。
比較的すくいやすく、いつも一匹か二匹、
すくっては家で飼った経験がある。
(いつも長生きはしないのであるが 汗)
黒出目金も飼ったこともあった。
金魚とかは何もとれなくても一匹もらえたりするケースは
多いのであるが、高くてまず救えないのは緑ガメ。
一度挑戦したが、暴れ者の緑ガメはすぐに逃げてしまった。

わたあめもよく買ってもらった。
あの、なめたらすぐに縮む仕組みが
不思議でしょうがなかった。

カルメ焼きも、最後に一気に膨らんで固くなるのが
不思議で面白かった。(家でいくらまねしても
うまくできなかった思い出がある)

ほかに、買ったもので憶えているものは、
「ままごと用の食器」
「階段を一段ずつ下りるスプリング」
「スライム」
「プラモデル」
「水鉄砲(青か緑のプラスチックのピストル)」
花火とかも買ってもらったかもしれない。

型抜きや、スマートボールのたぐいは
興味は無かった。
射的やくじ等の、なかなか当たらないやつも
あまり興味は無かったと思う。

「ああいう所へ行ってはしゃいで、屋台を壊したり
したら、こわいおじさんがいて、ものすごく高い金額を
弁償させられるから、決して1人で飛び出したりしないでね。」
と、母親からよく言われたのも思い出す。

今は行くこともなくなったが、あのころ買ったものは
今でも思い出すので懐かしく思う。

フッジィ

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アルコールランプ(2)
4年生になってからのことだ。

今年に入ってから久しぶりの化学の授業だった。

その日の僕は、心臓の鼓動の高鳴りが絶えなかった。

よく覚えてはいないが、確かでんぷんかホウ酸を使った
実験だったと思われる。

いつもの班ごとに分かれ、
実験器具を手分けして持ってくる時のことだ。

「はい、○ちゃん(フッジィ)、これもってって。」

手渡されたものを見て心臓がドキッとした。

「なに逃げてんの?早く持ってってよ!」

「何でアルコールランプがこわいのよ!?」

それはあの時のアルコールランプだった。
3年生の時、担任の話を聞いて恐ろしくて触ることさえ
しないと決めたあのアルコールランプである。

3年のときは、アルコールランプを使った実験がほとんどなかったか
たまたまその役割が自分になかったかでやり過ごしてきたのであった。

その日はそれのために逃げ回った。

先生は、何とか周りの生徒たちを静かにさせたので
この一件はそれで終わったが、

その後、いじめっ子たちがかわるがわる、

「これ、アルコール」

と言ってきては、さも手につけてきたというふうにして
その手を顔にこすりつけてからかうようになった。
挙げ句には、他のクラスや上位学年の生徒もやってきて、
同じようにからかうといった始末だった。

自分でも、何とかアルコールランプ恐怖症を
克服できればなぁ、と心の内ではちょっと思ってきたが
…やっぱ無理だった。

やがては先生から母親の耳にもふれ、

「なんでおっかないの?アルコール!」

と言われるまでとなった。


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写生会(2)
前回の記事の続きで、僕の描いた学校の外の景色、
その後、どう、描き上がっていくのだろう…

今回は、そんな記事ではない。

前回の話しの中で描いた絵は、その後、どう描き上がったのか
憶えていないし、この話は、これで「完」とする(苦笑)。


今日書く話題は、今までの記事の中で、一番恥ずかしかった話。
今でも、ちょっと思い浮かべるだけでも顔から火が出るが、
笑い話として人前にさらしものにすることで、
恥ずかしさもいくらかしのげるでしょう(笑)。
(読者の感想も聞けたらと思います)

学校の写生会からしばらく経った頃。

僕は今も、時々初恋の人の家の前をうろうろしていた。

彼女の家に遊びに行った後も、また一度家まで訪問したこともあったが、

「今日はこれからお習字の教室があるの」

と言って断られたこともあった。


僕は何度も彼女の家を見たので、その形を憶えるまでになった。

ある日、僕は父親に言った。

「僕、描きたい絵があるんだ。」

どういう動機やいきさつでそうなったのか、今は憶えていないが、
僕は写生会をしたいので、その場所へ連れてってくれと頼んだのである。

絵の具と、画用紙を持った。
鉛筆や、水も持った。
そして、車に乗り、父親の運転で、僕が書きたいと願った場所へ行った。


もうおわかりの方も多いと思うが、実は僕の行った場所は、
あの、初恋の人の家の前であり、
そこに車をとめてもらい、
僕は、車の中から、その人の家を描き始めたのである。

車は、エンジン音をがたがたさせながら停めていた。

しばらく、僕はその絵を描き続けた。

その当時、僕は、恥ずかしさも何も感じずに、行っていたのであった。

途中、あの子が窓からけげんそうな顔をして外を覗いていた。


その後、あの絵やあの後の光景は全然憶えていない。

また、常識はずれな僕の行動にもかかわらず、
あの子からは、あれ以来も特に嫌われることはなく、
学校ではいつものように過ごしていたのであった。


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写生会(1)
今日は図画工作の授業があった。

僕は図工の中では、工作をする方が好きだった。
工作用紙を使って、思い通りにものを作ったり、
色紙やセロファンやモールで色とりどりの飾りを作るのは楽しかった。

しかし、絵の方はというと、
うちの母や母方の祖父は、絵の力があり、
特に祖父は画家で、多くの作品を残しているくらいのスゴものだったが、
僕は絵にはあまり興味なく、良い絵というのが何かもよくわからなかった。
ただ、写真みたいに本物に近い絵というのが、
とても良い絵だといういうイメージが僕にはあった。
当然ながら、小学生の描いた絵がどういう評価されるのか
当時の僕にはわからなかった。

よく、隣の席の子を描く授業もあり、お互いに隣の子を描いたりしたが、
自分の描いた絵が、何か上手く描けなくて、
「これ、何だ?」と自分で思ったほどだった。
どう見てもその子に似ていない。

また、絵の具の色は手につくし、
描き終わるのに相当な時間がかかるし、
後片付けもめんどくさい。
1回の授業で描き終えられないときはすごくしんどい。
そういうわけで、僕にとっては絵は苦手な科目の一つだった。
夏休みの宿題で、絵を描くのがいやだったのも、
そう言う理由から来ていた。

今日は、写生会だった。

天気もよく、絵を描くのには十分な環境だった。
記憶によれば、教室か玄関前(確か教室だったと思う)から見える、
外の景色を描くという課題で、みんな画板を持って、
画用紙を置いて鉛筆で下書きから始めるのであった。

背景には山があり、その斜面には家々が立ち並んでいた。
家々は、日を浴びて暖かく輝いていた。
そんな風景を、僕も描き出す。

僕はというと、絵は1つ1つの対象を細かく描く方で、
家の窓や、そばにある物をいちいち描いていた。
1つの対象物を描き終えると、次は隣の対象物を描く。
1個1個描いていって、ふと気がつくと、
重大な問題にぶち当たっていた。

 端まで描いていって、もう一度最初に描いた家の下の
 方にある家を描く。すると、こっちに描いていた
 別の対象物と位置が合わない。
 少し位置をずらして描こうとすれば、
 次は別の対象物との位置関係がおかしくなるのである。

これは、1個ずつ描いていくやり方をすると
よくぶつかる問題だった。
絵を描く時は、うっすら全体の位置関係を描いていってから
詳細を少しずつ書いていけばうまく描けることに気づいたのは
それからだいぶ後の話だ。

消しゴムで、おかしいと思う所を消してもう一度描き直す。

そうしたら別の所がおかしくなって、また、そこを描き直す。

そうこうしているうちに、時間がなくなり、
最後には、もうどうでもいいや、と思うようになり、
適当に済ませてしまうが僕のいつものパターンだった。

そのうち、外の風景を見ていて、

「あれ、この家、僕の友達のかな?」

「でも、隣の家の形は違うな。」

「あ、こっちか、友達の家は…。」

そのうち、この家の近くには、
どんな新しい世界があるのだろう、とか、
色々想像することの方が頭に多くなり、
絵を描くのが身に入らなくなる。

「続きは次の図工授業に。」

あーあ、また今日も描き終われなかった…。


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プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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