フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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科学技術館の思い出
昼休み、外で遊ぶ事はその後も時々あった。
でも、いつまでそれは続いたか憶えていない。
あの、S陣取りは僕にとって大変だったからか、
そんなに何度もはやらずに終わったと思う。
前にも書いたが、僕にとっては身体を使って遊ぶよりも
クイズを解いたり、頭使って考えたりする
遊びの方が夢中になってやれた。

そんな頃、僕にとって非常に興味をひくものがあった。
大きなとこにならどこにでもある、青少年科学館。
うちの地域でも、それはあって、科学技術館といわれていた。
知っての通り、子供たちが科学の力を目や身体等で
感じられるように、色々な面白い展示をしているものだ。
入り口にはロボットがいて、来た子供たちに話しかける…
そんなイメージは、入ったことのある人は容易に思い浮かべると思う。

僕は、小学校高学年くらいに、親に連れて行ってもらったのがきっかけで、
その当時は、子供10円で入れた。
時代が時代なので、現在ほどのものはなかったと思うが、
当時の僕にとっては、画期的なものばかりだった。
こんなすごいものを、誰が発明したのだろうと思ったりもした。
入り口には、しゃべることはなかったけど、確かスタンプを押してくれる
ロボットがいたと思う。(センサーがあり、紙を入れると押してくれるが、
壊れているときも多かった)
中に入ると、列車や船が動いたり、灯台が光ったりする大きな模型や、
光線銃のゲーム、
センサーに触れると目の電球が光る、「怒る鬼」、
高圧電流が本当に放電する展示物、
鉄球がレールにのって宙返りするコースター、
勢い良く物をぶつけても壊れない強化ガラス、
その頃はあまりなかった電卓、
プッシュ式電話のシミュレーション等、
面白いものがいっぱいあって目移りした。

人気があって、並んでもなかなか順番が回ってこないものもあった。
3択式のクイズゲームで、画像や音も聞こえてくる。
当時としては画期的なものだった。
あと、白黒だが当時流行り始めていたテレビスポーツ(小さな細い
長方形の形をしたラケットを動かし、壁に跳ね返る点(ボール)を
打ち返して勝負する、昔懐かしの単純なテレビゲーム)もあった。
(ちなみにラケットを動かすコントローラーは電話機のダイヤル
を使用していた)
キーボードの4と6でラケットを動かし、ボールでオブジェクトを
壊す、ブロック崩しならぬ「レンガ崩し」、
動く障害物をとめながら、下に落ちないように右端へ物を導く
「通り抜けゲーム」というゲームもあった。
現在のゲーム機や、パソコンゲームに比べれば、全然単純であったが
当時、テレビ画面を使うゲームは出たばかりなので、
とても感動していた。

とても楽しかったので、何回も行ったのを憶えている。
よく、10円払って中に入った時、顔がにやけていたものだ。

5年生になって、その科学技術館で毎週科学の勉強ができることを聞き
僕も4月に入会することにした。

その初回の日は僕にとって楽しみであったのだが…

その続きは次回にて。

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昼休みの過ごし方(2)
前回の記事の続きであるが…

昼休み-

一人遊びの好きな僕は、その気持ちを抑えて、
なんとかみんなと遊ぶようにした。

この頃の僕と仲良しの友達とも、外で遊ぶことがあった。
よくやったのは、マーブルチョコレート。

数人でする遊びで、最初はみんなで手をつないで丸く輪を作り、

「マーブルマーブルマーブルマーブルマーブルチョコレート!」

って回りながら歌い、最後に手をはなしてばらばらに立つ。
(この時、足はそれ以上動かさない)

それからじゃんけんをして、勝った人が1度ジャンプして
誰かに近づく。

それを何回も繰り返し、誰かにすぐ近くまで来たら、
次に勝ったときに今度はその人の足を自分の足で引っぱる。

そうした時に、倒れて手や尻を地面につけたら負け、
最後まで残った人が勝ちという遊びである。

…僕にとって、転ぶ、ぶつける、痛い、といった遊びは
その度にショックを感じ、いやな気持ちになるので、
その頃は、そういったぶつかり合うような遊びは嫌いだった。
スポーツと同じと考えていた(今でもそう感じているが)。
また、こういった遊びは、下手をすると怒りを買ったり
喧嘩になったりするもとなので、僕にとっては
本当にやりたくないものであった。

マーブルチョコレートは、まだよかった。

この遊びは、比較的仲の良い友達とやることが多かったし、
そんなに激しいものではなかったが…


いじめっこやその仲間から、S陣取りに誘われた。
いきさつは、前回の記事をみればわかるであろう。
僕は、社会的にも必要と、勧められたのもあり
仕方なく一緒に入ることにした。
ルールはというと、地面に大きな長方形を描き、
真ん中に1本線を入れて2つに分ける。
じゃんけんで2つのチームに分かれ、
どちらかの枠(陣)に入る。
詳しいやり方は忘れたが、守りと攻めに分かれ、
何でも相手の陣地へ攻め込み、
そこを奪い取った方の勝ちという遊びだった。
手を使って線を引いていく、
「陣取り」の遊びとはえらく違っていた。

想像はつくと思うが、相手チームが攻めに来ると、
いつも僕は突き飛ばされていた。
「ほら、ちゃんと守れ!!」と、
同じチームの人からは言われる。

身体はぶつかってくるわ、腕やひざはすりむくわ、
ちゃんとやらなければ怒る人がいるわ、
いいことなど何一つない。
何で、こんな遊びをするのかと思った。

しかし、攻撃は続いた。

…次第に、そこから逃げ腰になってきたが、
逃げようとすると、捕まえられた。

S陣取りとするたびに泣いていたのを憶えている。

彼らは彼らなりに仲間に入れようとしていたのだろうが。
僕にとっては、ドッジボール以上にいやな時間だった。


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ドッジボール(2)
時は小学生時代に戻そう。
冬の話題も終わり、あっという間に春。

実は、思い出してみても、4年生より5・6年生の思い出の方が多い。
僕はこの春で5年生になった。

このころも、楽しかったこと、いやだったこと、
懐かしいこといっぱいあった。

5年生になっても、クラスや担任は同じで、
前に書いたように6年生までずっと続くのである。
この女性の少し年配の先生、
接していくうちにだんだんと慣れてきた。
でも、癖もあるので相変わらずとっつきづらい部分もある。
この担任の話は、また時々出てくるであろう。

そして新年度も、僕の嫌いな体育の授業が始まった。
そのころは、確か体育の授業もその女性担任が受け持っていたと思う。
専門の体育の先生からも習ったと思ったが、憶えていない。
少なくとも、3年生のあの担任ではない。

そのときの僕は、相変わらずあのドッジボールが大嫌いだった。
当てられるのが恐ろしくて、よく逃げ回っていたし、
外野に逃げてはよく連れ戻された。
また、たまたま自分の所にボールが転がってきたときがあり、
そのときはとって投げるのだが、いつも誰にも当たらず、
あるいはボールをつかまれてしまうのであった。
僕には人にボールを当てることなどできっこないと思っていた。

このころ、僕にはドッジボールと同じくらい嫌いなものがあった。

「おい、お前ももっとみんなと遊ばなきゃだめだぞ。」

そういったのは、何人かのいじめっ子だった。

僕は、昼休みはほとんどいつも1人で遊んでいた
1人だと気楽だし、好きなことができる。
クイズやパズルを解くのも好きだった。
今の時代のような、テレビゲームなんてあれば、
真っ先に飛びついていたであろう。
学校にはもちろん、そんなのはないので
1人ぼーっとしてたり石を積んだりしたことが多かった。

しかし、多くの男子は身体を動かして遊ぶのが好きであった。
鬼ごっこはあたりまえのようにやっていたし、
十字架通せやS陣取りなどのハードな遊びもしていた。

僕をこれらの遊びに誘ったいじめっ子の彼らも、
僕がいじめられるような嫌われる子にならずに
一緒に遊べるようになって欲しいと気遣ってくれたのだろう。
僕は僕で、このような遊びを一緒にすることは
社会の中では必要なのだろうと考え、参加したが、
このあと、またいやなことがおこってくるのであった。

続く

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未知の世界(2) ~思い出の光景~
fujji_kun10_33.gif先週のGWで、いくつか思い出の場所に行ってみました。
(過去の記事「未知の世界」を開いて見比べるとよいと思います。)


35年は経っているので、だいぶ変わっていますが…

>ここから見た、このまっすぐ進んだ道の果てには、なにがあるのだろう。

子供の頃、行ったことのなかった「未知の世界」に続く真っ直ぐな道はここ↓

NEC_0005.jpg

(道路の真ん中から撮影したかったですが、結構車が通っていたので
端からちょっと乗り出して撮りました。ちょうど前に車がいないときを見計らって)
今やずっと先も舗装されて、砂利道はなくなりました。

>横を見ると、濃いオレンジ色のペンキで塗られた、柵の門扉があった。

NEC_0010.jpg
これが、その門扉。(ペンキも塗り替え、現在は立入り禁止)

>さらに道はあった。正面には山があって、山肌は面白い形をしていた。

NEC_0009.jpg
正面奥の山がそれ。こんな所に事業所みたいのは昔なかったかな。
山肌の一部は昔、土がむき出しになっていたが、
今は木が生えていて、昔の様子がよくわからない。

NEC_0008.jpg
更に、そこへ向かっていく。
(かつての記憶では、道を真っ直ぐ行くとこの道だったが、
今は新しい道ができて、その道から右に入ってここにたどり着く。)

>そこに、2つ、3つの分かれ道がある。僕たちは、左の道を進んだ。

NEC_0007.jpg
先ほどの写真のもうちょっと先に進んだ所。
この道がそうだったと思う。
ちなみに左に行ったら、現在は道が途中でなくなっている。


…というわけで、今回はここまでの写真をとりました。
昔の道とはだいぶ変わっていて、新しい道ができてからは
それ以降の道がよくわからない。
(途中から、また未知の世界への道につながりますが)

次回、また機会があれば、このような思い出の光景を
撮ってまた公開したいと思います。

 フッジィ

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雪だるま
冬になり、雪も積もってきたころ。

僕の住んでいたところは、雪が比較的多く積もる所で、
スキーの盛んな地方でもあった。

運動好きの人は、この時期スキーをして遊んでいたが、
僕はというと、雪で何かを作って遊ぶ方が好きだった。

よく、図鑑や雑誌に載っているような大きなかまくらを作り、
その中でお餅をやいたりするのが夢だった。
しかし、現実は甘くはない。
どんなに雪を積み上げても、すぐに横にくずれていき、
自分の背丈にも届かない。
穴をあけても、自分の身体がようやっと
半分入るくらいにしかならなかった。
家の壁際に半分くっつけて作ったら
案外積みやすいことを発見したが、
すぐ上の屋根から雪や氷が落ちてきたら危険だと
すぐに親から止められた。

そんな状態だったが、他にも雪で作る楽しみがあった。
雪だるまである。
雪祭り会場に展示するような雪像作りはさすがにできないが、
子供の頃はよく雪だるまを作った。
ただ、そのころの作り方はというと、下から雪を積み上げて
作る方法で、あまり大きいのは作れなかった。
それで、僕の作品を別のところで工夫しようと、
一番下に足をつくり、雪だるまが足を投げ出して
座っているような格好にした。
我ながら、いいアイデアと感じた。
母親からは、冗談で
「足なんてつけたら、逃げ出してしまうよ。」
と言われた。

雪だるまを下から積み上げる方法で作ったわけは、
僕は不器用だったので小さい雪玉を転がして、
大きな雪玉にできなかったからである。
雪がふっついても、すぐにボロッと落ちてしまう。
小学校低学年の頃から、転がしての雪玉作りは
難しいものだと思っていた。

そんなある学校の帰り道。

僕は一人で、家へ戻る道を歩いていた。
自分は少し大きくなったんで、できるかどうか
試しに、雪玉を転がして大きくしてみようと思った。
最初は、なかなか雪がふっつかなかったが、
根気よくやっていくうちに、次第に雪がふっついてきた。

「やった!」

と思った。

転がしていくうちに、雪玉はどんどん大きくなってきた。

生まれて初めて、大きな雪だるまが作れる…という
自分にとって喜びの気持ちでいっぱいになった。

しかし、作るものがいれば、壊すものもいるものである…


僕の後ろから、Bさんという、可愛らしいがやんちゃできつい
女子がやってきた。

僕をからかいながらじろじろ見ている。
なんかいやな予感がした。
次の瞬間、僕の作っている雪玉を蹴り出した。

雪玉が半分くらいに割れた。

慌てて、その割れた雪玉をくっつけ、また大きくしようとした。
しかし、彼女はまた、からかいながら雪玉を蹴った。

ばらばらになった雪玉に、僕は怒り、追いかけようとした。
しかし、逃げ足は彼女の方がずっと速かった。
からかうようにして逃げた彼女を見ながら、
僕は涙が止まらなかった。
こんな無様な顔を親に見られまいと、
家に着くまでに一生懸命抑え、気を紛らわそうとしたのを
今も憶えている。


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プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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