フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ある日のできごと
それは、いつもとは変わらない、ある日のことであった。

いつものように、朝、教室で先生と挨拶した。

先生からお話があった。

「今日は、みなさんに悲しいお知らせがあります。」

なんだろうかと思っていたら、先生がまた言った。

「このクラスの友達のBさんのお母さんが亡くなって、
しばらく学校を休むことになりました。」

お葬式等の関係で、学校を休むのである。
その子の席を見ると、確かに席は空であった。

Bさんというと、去年の冬のとき僕の雪だるまを壊した、
あのBさんだった。しばらくの間、何とかして彼女を
ぎゃふんと言わせたいと、悔しさが残っていたのだが。

「あいつ…お母さん亡くしたのか…」

子供のころは、多くの人は同じようなことを考えると思うが、
お母さんという存在は絶対的なもので、
なくてはならないものである。
彼女のことを思うと、ひどく大変だろうにと感じた。

先生も、みんなで彼女を元気づけるようにと、生徒達に言った。

彼女の家は、うちの米屋のお客さんの1人であった。
当然ながら、その話はうちの親にも届いた。
Bさんがうちに買い物に来た時には、
母はうちで揚げた天ぷらを半分以上も彼女に持たせ、
その日のおかずが少なくなった出来事もあった。
複雑な気持ちだったが、彼女のことを考えると、
じっと我慢したのを憶えている。
彼女がうちに来たとき、母はこのように
何度か彼女に食べ物をあげていたのであった。

ある日、いつものように学校に出かけるとき、
Bさんが坂の下から追いついてきた。
昨日、うちから食べ物をもらったことについては何も言わず、
「○ちゃん(フッジィ)、急ぐよ。」と僕に言って
そのまま先へ行った。
その時の、すがすがしいような彼女の顔を、
今でもおぼろげに憶えている。

スポンサーサイト

テーマ:日記 - ジャンル:日記

科学技術館の思い出(2)
それは5年生になってから、少し経った時のことだった。

前回の科学技術館について記事を載せたときの話であるが、
僕はその科学館に入ってたくさんの興味を感じた。
それから、そこで科学の勉強ができると言うことで、
僕も4月から入会することにした。
確かそこの科学館で申し込みをして、
先着順で定員になるまで登録可能だったと思う。
僕が選んだのは化学のコース。
そのコースは、僕のクラスメートも何人か選んでいた所である。
確かAとかBとかいくつかあったと思う。
(どれかは忘れてしまったが)
開始日を聞いて、その日を楽しみにしていたのを憶えている。

それからしばらくして。
楽しみにしていたその日が来て、さっそく僕はバスに乗って
科学技術館に出かけた。
確か、雨降りの日で、傘をさして行ったと思う。
始まり時間は、科学館の閉館より30分前の午後4時。
間に合うように行った。

正門の前まで行った。
しかし、そこには誰一人いなかった。

「あれ、早すぎたのかな?」

「…何かおかしいな。」

…そう思いながら、入り口の前で、
ぼーーーーっとしながら戸が開くのを待っていた。

しかし、その後も、誰一人来る人はいなかった。

雨はしとしと降り続けるばかり。

「…変だな、何かおかしな気がする。」

そのうち、戸の横の窓が開き、中からやせ形の人の姿が出て来た。

「おい、そこで何やってんだ。」

「えっ?」 僕は何て言ったらいいか迷った。
実際、僕は科学館に来る日付を勘違いしたのではないかと
考え始めたのであるが、それを確認するのが怖く、
悪く言われないようにどう話したらよいか迷っていたのである。

「そこで何やってんだ!!」

いやな感じがした。

「今日は科学館は休みだよ。」

言われたくないことを言われたような気がした。そして、

「だから今日はやっていないんだって!!」

その後のやり取りは詳しく憶えてはいないが、

そのことが高じて、ついには怒られる始末に。

「だから化学の授業は来週の土曜日だって!!
 今日来たってやってないって!!」

(僕は別に今日やれって頼んだつもりはないのだが)
何も言えないで突っ立っていたのが、
彼にとってイライラしたのかもしれない。

どうしていいかわからず呆然としていた僕だが、
こちらとしてはどうにもならない、
恥を忍んで出直すしかなかった。

後ろを振り返ると、
科学館で働いている別な職員らしき人が、
傘をさしながら入って来た。
めがねをかけて、頭がはげているその人、
事の一部始終を見ていたらしい。

「○○○○!、ばか者!!」

人の話を聞いていない、または理解できていなくて
失敗したことは、このようにしょっ中あった。

その頭がはげている彼は、最初に何て言ったか憶えていないが、
ばか者って言われ、恥ずかしくてしょうがなかった。

科学館に、勉強しようと初めて行った時の話は、
このような感じであったが、後にそこで働いている人々を見て、
「変人」の定義を理解できるような出来事が起きてくるのである。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

いつもありがとうございます
フッジィの思い出日記も、
おかげさまでアクセス数1000件に達しました!

いつも皆様の助けに心から感謝致します。

これからも少しずつアップしていきますので、
応援をよろしくお願いします。

フッジィ

テーマ:日記 - ジャンル:日記

皆既月食
ここ10年で最も長いと言われる皆既月食が、
今朝4時22分に始まり、2時間近くも続いた。

……とは言っても、ここ北海道では、
ちょうど欠け始める頃に月が沈む。
Stellariumを使ってシミュレートして分かったのだが、
これじゃ欠け始める前に建物の影で見えなくなるだろうな…
そんなわけで早起きして月食を見るのは諦めたのである(苦笑)。

僕が天体ショーに興味を持ち出したのは、
小学校高学年のころだったであろう。
もともと科学図鑑で日食や月食の写真を見て
「…そうなんだ~」ぐらいにしか感じていなかったが、
肉眼で本気で見ようと思ったきっかけは、
そのころのテレビアニメの「ハクション大魔王」の最終回。
皆既月食が終わるまでに、悲しい別れとなる話。
あれを見て、(恥ずかしいので)涙をグッとこらえていたのを憶えている。
皆さんの中には同じ経験をした方もいるだろう。

百科事典には、これから月食が起こる予定日時が載っていて、
ここまで正確にわかるとは、と驚いたのを憶えている。

時は1978年3月24日。

小学校4年か5年の頃だったと思う。
その頃の一番近くに予定されている皆既月食は、この日だった。
前日になると新聞にも掲載され、欠け始めや皆既食の時間も載っていた。
僕と弟は父にお願いして、
夜の11時半くらいに起こしてもらう事にした。

そして夜中…

父が起こしてくれて、見ると少し欠けている月が見えた。

「あっ!欠けてる!!」

初めて見た月食に感動した。

満月はただ、まんまるで白く輝くというのが当たり前のように
見てきたのが、突然異変を起こしているということは
新鮮で不思議で感動するものである。

欠けている部分は真っ暗でなく、暗く赤っぽいような色をしていた。
買ってから間もない新しいカメラで、父が月食を撮ってくれた。

赤黒い部分がだんだん多くなり、
いつも見るのとは違う三日月が横にくっついてた。

やがて全体が赤くなり、皆既月食になった。

そのあと、しばらくずっとその状態が続いた。
地球の影の方が月より大きいので長く続くのは分かっていたが、
最後まで見ずに、ベットに戻って寝てしまった。
父は、後でもう一度起きて、だいぶ戻った月も見たと言った。

そんな経験を通して、僕は天体ショーに興味を持った。

しかし、ここまでまともに見れたのは、この時以来ほとんどなかった。

同じ年の9月、中秋の名月の皆既月食は雨で断念。

その次は、厚い雲に被われあまりよく見れなかったがうっすらと見れた。

それからしばらく経って、ある皆既月食のときは、初め曇って見られなく、
途中昇り始めに下の部分が欠けていたのが一瞬見えただけ。
その後は雪が降り始めて全く見えず、諦めたあと、
月食が完全に終わった直後に、雲が一つもなくなった。

お天気のことわざに、「月食のときは、天気が悪くなる」と
何度載せたいと思った事であろう。(それは妄想だが)

それからだんだんと、天体ショーについてはチェックしなくなった。

ちなみに、大人になってから見た月食は、

偶然、頭がちょっと欠けていた満月を見たことがあった。
今日は月食の日だ、と初めてわかった(部分月食)。

NHKのニュースで皆既月食の映像が出て、
空を見た時に同じものがあって喜んだ時もあった(小市民だな)。
これは、初めて月食を見たとき以来の、はっきりと見る事ができた
二度目の皆既月食であった。




続きを読む

テーマ:日記 - ジャンル:日記

写生会(3)
ぽかぽかと、暖かい春の陽気のことだった。

今日は学校の写生会。僕のあまり得意じゃない絵の授業である。
今日は少し遠出して、運河を描くことになった。

ここで、やっと自分の生まれた場所を明かすことになるが、
僕は、北海道の小樽の生まれである。
観光地でもかなり有名な方であり、「小樽運河」を見たり来たりした人も
少なくないと思う。
また、寿司やさかなも美味しいし、古いれんが造りの倉庫でできた
店もたくさんあり、ガス灯の灯る小樽運河を歩くロマンチックな光景を
想像する人も多いと思う。

私にとっての小樽は、
静かな街であるということ。また、とても癒しになる場所がある。
「祝津」という場所。おたる水族館がある場所であるが、
そこにはなんにもない海岸があった。
小さな、角の丸い石がいっぱい敷き詰めてある海岸。
ただ、小さな船が何隻か置かれていた。
上の方にはにしん御殿があり、かつては泊まることもできたそうだ。
とても静かで、おだやかで、のんびりできるその場所は、
僕にとって1日中ぼーーーっとしていても飽きないような所だった。
運河だって、今の運河は半分埋め立てられたもので、
その頃はガス灯だってなかった。
運河の周りは石だらけで、草もいっぱい生えていた。
僕たちが描く運河は、まさにその時の運河で、
水はどんよりと深緑で、ペンキのような臭いがしていたのを憶えている。
近くでは、機械の動くような音がしていた。
その頃の時代は、のんびりしていて、平和的だった。

とろこで、僕の母方の祖父は、その頃画家でこの運河の絵をよく描いていた。
だから、祖父のアトリエを見に行ったらほとんどが運河の絵だった。
その頃は、祖父の描いた絵は価値が高く、僕は祖父を誇らしげに思っていた。

今日は、僕たちがその運河の絵を描く日である。

学校からは、バスで行くような所なので、
その日1日が写生会で、お弁当も持って行った。

運河の色は、どんよりとした濃い深緑だったので、
絵の具を混ぜ合わせて色を作るのに苦労した。
絵の中のほとんどは運河だったので、
同じ色の部分がたくさんあったからである。
作った色の絵の具は、塗っていくうちに
パレットからだんだんなくなっていった。
次の絵の具を作るまでに塗った所は、
全体の4分の1もなかった。

また、新しく作った色で塗っていった。
でも、すぐなくなった。

何とかパレットの絵の具を最後まで使おうとして
筆に水をつけて絵の具をとったが、
今度は少し薄くなった。

しょうがない、また色を作った。
そんなことを繰り返しながら、絵を描いていったのだが…

絵は未完成のまま、学校で続きを描くことになった。


それから、教室で展覧会。


1人のクラスメートが言った。
「おい、お前の描いたのは畑じゃないの?」

そう言われて僕は恥ずかしくなった。

何回も色を作り直して、その度に少し違う色になった絵の具。
違う色の四角がいくつもつながってできた運河は、確かに畑に似ていた。


テーマ:日記 - ジャンル:日記



プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



訪問者数



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



リンク

このブログをリンクに追加する



検索フォーム



RSSリンクの表示



QRコード

QRコード



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。