フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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年賀状(2)
そして、小学校の僕のクラスの人達へ、
今年も年賀状を書いた。

まずは、お世話になっている担任の先生へ。
これは、義理でもまずは書かなければならなかった。
(母親からもそう勧められたと思う)

次は、よく遊ぶ友達へ。
今、仲良くしてもらっている2人の友達M君とW君。

そのほか、よく遊んだり話したりしている友達へ。

女の子にも何人か書いたと思う。
よく話したり話しかけられたりした人達だ。

いじめっ子達には書かなかった。

まあ、あまりよくは憶えていないが、
10~15人くらいの人に書いたような気がする。

いつだったか、ある人に初めて年賀状を書いたときのことだ。
心はドキドキし、とても緊張していた。

そう、あの、初恋の人に宛てた年賀状である。

「あけましておめでとう。 今年もよろしく。」

一気に書き上げて、宛名を書いたら、
さっとすぐに、書き終わった他の年賀状に隠した。

親から頼まれたのと一緒に、いそいそと
郵便ポストに入れて来た。


年が明けて、

いつものように、たくさんの年賀状が我が家に届いた。
ほとんどは、両親へのもの。
そのうち、何枚か、僕宛のも見つかる。

いつもの友達から、年賀状が届く。

前のクラスの、O君からも届いた。
その子はいつも、
最後に「風(風邪)をひかないでくださいね。」と
書いてあった。

届いた何枚かの年賀状を見ながら、

「あの子からは、届かないだろうなぁ。」

と、心のどこかで思った。

その2日後、また何人かの年賀状が届いた。

それらも1枚1枚見た。

その次の日も、僕に届いたのはあるかどうか見ていた。


それから数日後…


年賀状を見て思わずドキッとした。
あの初恋の人からの返事だ。

年賀状の裏には、

「今年もよろしくね。」

と書いてあった。


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年賀状
季節があっという間に過ぎてしまい、
このブログを書いている季節よりも先に冬が来てしまいました。
年を取るにつれ昔の記憶はだんだん忘れて行くものですね。
あとになってこの頃の話を思い出したら
また載せて行きますね。

さて、舞台はあのころの冬…

12月に入り、うちにある小さなクリスマスツリーを飾っている頃
「年賀状は20日までに」と
郵便局ではポスターを貼っているが、
この頃までに年賀状を投函したことはほとんどなかった。
何かかんかで出すのが遅れてしまうのは、
経験された方も多いことだろう。
今日は書こう、今日こそは書いていこう、と
年の終わりが近づくごとにだんだん気焦りするようになるのだが
なかなか作業が進まず、ついには大晦日になってようやく投函する、
といった具合。正月になってから出したこともあった。

パソコンがなかったその当時、
年賀状を書く作業は一大作業だった。
何よりも大変なのは宛名書きだ。
僕なんかは同じクラスの友達に出すくらいなのでたかだか知れているが
両親は夜遅くまで宛名を書いていたものだった。
ノートかなにかで一覧表を作って、出し忘れや重複をしないように
出した人を書き出していった家庭も少なくないだろう。

後ろに載せる絵や字なんかも、今とは違っていた。
僕たちの頃は、よくゴム版を使った。
薄いゴム製の板や木製の板なんかに彫刻刀で彫って、
絵や題字を作るものだ。出来上がったら版に絵の具やインクを塗って
ハガキを乗せて上からバレンでこすってつけていくのだ。
その昔は、いも版なんかも主流だったものだ。

写して出来た版画は、これはちょっとした芸術作だった。
クラスのみんなが、それぞれの芸術を年賀状に見せていた。
やがて現れるプリントゴッコを手に入れるまでは、
確か僕はずっとあの方法で年賀状を印刷していた。
最初の頃は確か、簡単な絵を彫っていたが、
だんだんと凝り出して来た。
よく、印刷やさんで印刷している、活字での自分の住所と名前、
あれも、版画で入れたことがある(まあまあだったが)。
あと、北海道の百人一首の取り札のふで文字も彫って作った。
確か、もじって「あけましておめでとうございます」にしたと思った。
年賀状の絵の見本も、細かくかっこいいのを選んで挑戦したことも多かった。
うさぎとかえるが相撲する、鳥獣戯画にも挑戦したことがあった。

今も、あの頃の年賀状は現代のよりもずっと芸術作だと感じている。
文明の利器がある現代、あの頃の印刷技術には二度と戻らないのだろうが…

 つづく

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クワガタの思い出
うちのすぐ近くの道には、面白い物がいくつかあった。
国道まで約1kmあるその道。1kmはその当時、僕にとっては
とても遠い距離だったが、300mくらいなら大丈夫だった。

その辺には、まずわき水みたいのが流れていたところがあった。
うちから100mちょっとのところだが、道の横からちょろちょろと
きれいな水がながれ、側溝におちていく。
飲めるか心配だったので飲まなかったが、なんでも、
そこに温泉が昔あったという話だ。今はそのわき水すらなくなったが。

もう少し行くと、大きな門がその道の前にあった。
トンネルとは少し違い、上には珍しい建物のような建造物が
くっついていて、その形は、絵本の浦島太郎にでてくる、
竜宮城の門そのものだった。
歩いてそこを通った時、足音も、話し声も、
ちょっと響いて聞こえてきたので面白かった。
(余談になるが、うちの近くにある団地で、団地と団地の壁の間が
 とても狭くなっているところがあって、そこで音を鳴らすと、
 とても面白い音で響いて聞こえるという珍しい場所もあった。
 今はその団地も、大きな市営住宅に変わったのだったが)

その門(唐門というが)、老朽化のためか、取り壊されることになり
うえの建造物は残したまま、新しい門を作ることになった。そして、
そっくりそのまま、海岸まで行く道の山の上の方に移動したのである。

そこは、日当りもよく、家からもすぐ見える位置にあった。
そこには、木も生えていて、自然が豊かにあった場所でもある。

ある夏の日、弟と一緒に樹液を塗ったところの
木を見に行って思わず喜んだ。

そこには2匹のきれいな緑色をしたカナブンがとまっていた。
他にも何匹か虫がいて、喜んだのを憶えている。

僕は基本的に、虫は嫌いな物が多いが、カブトムシ等の甲虫類は別で、
どこか上等な感じがしていた。
弟が特に、そのような虫が好きで、
カブトムシ、クワガタ、キリギリス、コオロギ、スズムシ等
色々なのを飼っていたのを憶えている。
僕はそこまで積極的ではなかったが、
それらの虫を見たり、鳴き声を聞いたりするのは楽しかった。

甲虫類を飼うきっかけとなったのは、ある秋の日のこと。
近くの知り合いの家に寄ってから帰りがけ、

「あれ、クワガタ!」

近くの側溝にいたのを、僕が見つけたことからだ。
クワガタなんか、この近辺ではまず見つからず、
しかも、木の幹に暮らしているのが普通だと思っていたのが
この下水道の近くにいるなって、これは飼っていたのが
逃げたのかな、と思って、そこの家の人にも聞いたが、
「いや、そんなの知らないよ。」と言ったので、
これは誰のでもない、と、弟が喜んでうちで飼うことにしたのである。
図鑑で調べてみたら、大あごの根元が独特の形をしている、
ミヤマクワガタということがわかった。

そのクワガタは、寿命がつきるまで弟がよく面倒見ていた。
それから、ノコギリクワガタを飼ったり、色んなのを飼ったが、
ゆっくりとした角や大あごの動きを見たりすると、生き物って
不思議で面白い物だなと、感じたものだった。

…今は、身近にはいなくなってしまったな。あの虫たち。

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子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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