フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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科学技術館の思い出(4)
5年生の終わり頃だったがー。

去年の夏、確か夏休みの科学館の特別行事だったと思う。
子供のために、普段やらない工作作りや、実験が、この日行われた。
それは、夏休みの自由研究にも役立てられたであろう。

科学館でのある勉強の日、先生からその案内があった。

なんでも、ラムネを作ったり、ストロボスコープを作ったり、
色々な教室があるとのこと。
僕は、そのストロボなんとか、っていうのに魅かれた。
何か、カメラのストロボと混同していて、
あんなのが作れるのかな、という興味本位であった。

しかし、実際行ってみたら、定員数のわりに希望者が大幅に多すぎるので、
割り箸で作ったとみられるくじをひくことになったが、
僕はどれもはずれて、結局、いつもの展示物をみるだけで
終わったという苦い思い出がある。

ストロボも、ラムネも何も作れなくて、一体どうやって
作るんだろうと思った。(ストロボスコープは、後で他の生徒が作ったのを
後ろで見たが、模型用のモーターに1枚の紙でできた円盤みたいなのに、
何本も細い溝があいていて、それを回して蛍光灯などを透かして見るものらしい)

そんなことがあったあと、学期最後の科学館でー

「今日は、ラムネ作りをします。」

「おー!」と喜んだ。
あの時もうできないと諦めていたラムネ作りが、今日できるのである。

ラムネのビンに、蜜が入った水を入れ、
重曹とクエン酸をそれに混ぜて、
すばやく栓をしてさかさまにするというものである。
それから確かそのまま栓を抜いて中のビー玉が出てきたら、
そのまま1分間おいて、元の向きにしたときに
ビー玉が落ちなければ成功というものである。

実際に作ってみたが、最後ビー玉は落ちなかったものの、
味はというと、炭酸がうすい、変な味だったのを憶えている。

でも、それも懐かしい思い出だった。

次回は、6年生になったときの、科学館のクラスについて話そう。


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トランシーバー
この年の嬉しいことが1つあった。

誕生日のときだったか、何のときだったか憶えていないが、
それは親が買ってくれたプレゼントだった。
「あっ!」と中を見た僕と弟は喜んだ。

中には、その頃画期的だったトランシーバーの
おもちゃが2台入っていた。
おもちゃと言っても、ちゃんと遠隔地で通信できるもので
何キロも遠く離れている所で通信できる無線機までいかないが
僕にとっては、線をつながずに操作、通信できるものは
めずらしくてかっこよく、家にはなかったものなので
それが手に入ることはとても嬉しかった。

アンテナが伸びて、スピーカーとマイクが一緒になっているような
黒く丸い部分が前についていた。
横には赤いボタンがついていて、こちらから話す時に
そこを押しながら話をするものだった。

9Vの四角い電池を後ろに入れてから、さっそく通信した。

父親と通信したり、弟と通信したり、
同じ部屋だと意味ないので、1人は二階へ行って通信したりした。
ちゃんと声が聞こえて来るので、楽しかった。
ある時は、100m以上も離れた外でも通じるかやってみた。
家の前の坂の上から、向かいまで続いている道の端っこまでやって、
それでも通じたので、すごいと感じた。

使い終わったら、ちゃんと電池外して、元の箱にみんな戻した。

こんな感じで、しばらくはこのトランシーバーで遊ぶ日が続いていた。

「悪い友達には、貸しちゃだめだよ。」と母親から言われ、
自分も「なるほどな」と納得した。
これは大事なものだから、壊されたりいたずらされたくないし、
と言うわけで、友達と遊ぶときは、慎重に相手を選んだ。

ある日、近所の子供達と遊んでいる時、
あのトランシーバーをみんなに見せた。
そこには僕より年上の子も、年下の子もいて、
みんなめずらしがったり興味を持ったりしていた。
みんなの前で通信の実演を誰かとしたりもした。

そのうち、そこの僕より1つくらい年上の子が、
「今度は順番に貸しあっこして、みんなで通信しよう。」
と言い出した。
みんな楽しくて、盛り上がっていた所だが、
僕は両方のトランシーバーが人手に渡ってしまうのが不安だった。
これら近所の子供達の中には、いじめっ子や
悪さをする人は誰もいなかったのだが。

僕は言った。

「これ、そういうふうには貸せないから。」

周りのノリは急に下がってきた。

「えーそれじゃおもしろくないよ。」

ある子供は言った。

「でも、そういうふうには貸せないんだ。」

何回か、そんなやりとりは続いたが、

ついにさっきの年上の男の子が

「なーんだ、面白くないなー、さあ、みんな帰ろう。」

みんな、面白くなさそうに彼についていって、帰っていった。

今思うと、友達付き合い、
うまくできなかったなと感じるところなのだが…

当時の僕はそういう気持ちと違っていて、
最後に、みんなが彼についていったのが悔しかった。
つまり、僕の方より彼の方が主導権があるという
それが面白くない、という気持ちだった。
結局、その日は悔しくてメソメソ泣いていた。

それでも、なんかうさをはらしたいと思い、
彼の住んでいる団地の裏庭に手紙を投げ込み、
その手紙には宛名は書いていなく、
悪口をいくつか書いて、最後に差出人として、
「なぞのX」と書いた。

今思うと、そんな小馬鹿で自分で笑っちゃうようなことを
真剣にやっていたものである。

…その手紙、だれか読んだ人がいるかわからないが。


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自転車
先輩たちが卒業して4月。

今度は僕たちが6年生になる番だ。
卒業したおにいさん、おねえさんのように
尊敬できるような立派な人たちになれるかな、と
少し期待もしながら、新しい新学期を迎えた。

前にも話したように、担任やクラスは4年生からずっと同じだった。
そして僕も、これらの仲間たちやいじめっこ達と1年間共に過ごすことになる。
どんな1年間が待ち受けているのだろう。
それはこれから追々話すこととなる。


話は変わって、今日は僕の自転車について話そう。

子供の頃は自転車で、よく近所の団地の横を、行ったり戻ったり繰り返した。
そこが通常の遊び場で、その頃の僕にとってのお決まりのコースだった。

うちの近所の団地は、1階建てで縦に3棟並んで建っていた。
手前の棟の前を通り、そのまま次の棟へ進む。
そして更に次の棟へ入り、そこも通って、奥まで行ったらUターンして
また来た道を戻ってくる。
棟と棟の間には小さな道が交差していて、特に一番奥の棟に入る所は少し
坂になってて道の真ん中がくぼんでいた。
そんな道を、ガタガタ乗って行ったり来たりをしていた。

団地は更に、横にも何列かあった。
たまに、他の列のとこも通るが、坂がすごくきつい部分があったり、
とても狭い道になったりするので、結局通りやすい今の道を通る。

初めて乗った時の僕の自転車、いつ頃かは憶えていないが、
ある日、親が僕と弟に同じ時に買ってくれたものだった。
ベルの部分はボタン式のもので、
押すと、「ビーーーーーッ」という音が鳴るものだった。
後ろには補助車がついていた。
ライトもついていたと思うが、よく覚えていない。
そんな感じのものだった。

ある日、僕は思い立って、
親に自転車から補助車をとってほしいと頼んだ。
三輪車とは違うので、この年齢で補助車付きの自転車に乗っても
自転車には変わりがないので特に恥ずかしくはなかったが、
補助車をつけずに実際の二輪で走ってみたいという気持ちが湧いていた。
父は快く引き受けてくれた。

次の日、初めての二輪車に乗るときが来た。
とても楽しみだったのだが、いざ一人で自転車のハンドルを握って
押そうとした時かなりふらついた。
「こんなんで本当に乗れるのだろうか。」
少し不安になった。
それからサドルに乗ってこぎ始めた。
ふらふらしながら10メートルほど先で倒れた。
補助車がこいしくなった。
それでも、何回も乗っていたら、すぐに慣れてきた。
これが僕の、初めて普通の二輪車に乗ったときの経験だった。

6年生のころは、もっと大きな自転車になった。
学校終わったあと、よく自転車で友達の家まで遊びに行った。

やがて、僕は友達とともに、サイクリングで
少し遠出をすることになったが、
その話はまた今度することにする。


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子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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