フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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中学の音楽授業
前回の記事で、音楽の授業について少し話したが、
ここでは、小学校の時とはまた違う、色々な歌を歌った。

「中学校の愛唱歌集」という、小さな楽譜をもらい、
それを使って授業を受けていた時も多かった。
そこにはたくさんの曲が載っていて、
そのころのは、フォークソングや青春ものが多かった。

その当時、歌っていて「何だろ、この曲。」っていう感じで
あまり好きでもなかったのだが、
今思うと、小学校のころ思い出に残った曲同様、
何故か思い出に残っている。

大体おぼえているのは、

「あのすばらしい愛をもう一度」
「太陽がくれた季節」
「帰らざる日のために」
「なごり雪」
「22才の別れ」
「冬が来る前に」
「いちご白書をもう一度」
「若者たち」
「戦争を知らない子供たち」
「翼をください」
「赤い花白い花」
「巣立ちの歌」
「琵琶湖周航の歌」
「精霊流し」
「無縁坂」
「妹」
「遠い世界に」
「贈る言葉」
「青葉城恋歌」

…などなど

当時の楽譜、汚れてしまい、終いにはどこかなくして
今手元にないのであまり思い出せず、残念であるが…。

今でも、それらの曲を聴いたとき、あのころを思い出すのである。

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新しい授業(2)
2年生になって、各教科の教師はほとんど変わった。
また、新しい先生から授業を受け始める時は、
新鮮な気持ちを感じるものである。

2年生になったばかりのころ、担任の先生から
各教科の先生について説明を受けたとき、

「数学の先生は、とても厳しい先生です。」

と言ったのをおぼえている。
印象深いものは、そう簡単には忘れないものだ。

僕は厳しい先生は苦手であるが、
同じく先生から厳しいことを言われるなら、
最初から厳しくて有名とわかっていた方が
あとから感じるショックは少ないものである。

そして、初めての数学の時間が来た。


 「あっ!」



その先生は、忘れもしないかつてスキーの授業
あわてて上履き場で履き替えていたときに
後ろから突き飛ばしたあの先生だった。

「なるほど、(厳しいというのが)よくわかる。」

身体が大きく、色黒でおっかない表情のその先生だが、
以外に明るく、さっぱりした性格なので好感を持った。

しかし、宿題を忘れた時は厳しかった。

忘れた人は教室の前に呼び出され(その中に僕がいたこともあった)、

「一列に並びなさい。」

と言われ、

「宿題を忘れた人は、こうします。」

と言って、棚から持ってきたものがあった。


「塩!!」


そう言ってからみんなに口を開けてもらい、
塩を少しずつ入れていく罰があったのである。

うちのクラスでも色々な人がこの罰を被り、
その中には、頭の良さそうな生徒もいたことがあった。



その授業中、口の中は塩っ辛かった…。


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新しい授業
2年生になって、色々な教科の先生もまた変わった。
技術家庭科の先生はうちのクラスの担任がなった。
7組と8組が合同で授業を受けたので、W君にも会えた。

書き忘れていたことだが、1年生のころの技術家庭科の先生は
とても怖く、怒鳴っているのがほとんどだった。
実はうちの母親の時代からいた先生らしく、
昔はもっとおっかなかったという。
僕もその先生からいつも怒鳴られていた。
でも、おかしな一面もあり、
「○○が一番早くできた人は、チョコレートやるぞ。」
と言って、手には銀紙に包まれていたフィンガーチョコを持っていたのを思い出す。
結局、誰がそのチョコをもらったのかわからないが、
生徒の何人かは、お茶をごちそうになっていたのを見たことがある。

2年になり、技術家庭科の先生が変わったら、その授業に対する
僕の気持ちも変わり、気が楽になった。

音楽の授業は、年配の教師になった。
細身で背も低く、頭がはげている男性の教師で、
もうおじいさんと言ってもいい姿だった。
授業中にみんなが騒ぎ始めると、

「やかまし!!」

と一喝するものの、そのしゃべり方がおかしくて、
終いにはみんなからまねされるという始末である。

「だまれ!」

「(これ)しちゃだーみよ!!」

「騒がし!!」

これらのよく出てくるセリフを聞いて、
みんなと一緒に大笑いしていたのをおぼえている。

「パフ」という歌(知っている人も多いと思う)を習った時に、
その先生が、

「(作詞は)ピーター・ヤロウ」  「バカヤロウ」

「(作曲は)レナード・リプトン」 「リプトン紅茶」

と、いちいちもじって話したのが今でも忘れない(もちろん大ウケだった)。


そんな感じで、気持ち新たに2年生の授業を受けていった。


そんな頃、残念なこともあった。

親友のM君は、昔僕の同級生だったI君や、彼の友達と親しくなり始めた。
同時に彼と僕の関係は、だんだん疎遠になり、
いつの間にかぎくしゃくするようになってきた。
W君も同じように、だんだん疎遠になるのを感じてきた。
人は大きくなるにつれ、だんだん変わっていくものなのであるが…

また、居心地のいいクラスとはいえ、相変わらず誰かに小突かれたり
馬鹿にされたりしては、泣いている自分がいるのである。


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インベーダーゲーム(2)
2年生になって、すっかり気持ちがゆったりできるようになった。
何しろ、いじめの張本人がクラスにいなくなったし、
親友が一緒のクラスなので、何をしても気をつかうことなく、
楽な気持ちで毎日を過ごせるのである。

でも、廊下の中程にある、トイレの前には、
aのいる3組があった。
万一、そこのトイレに入ったら彼らの餌食になる。
僕はいつも、そこの前を通らないようにして、
トイレも、体育館の横にあるトイレを使うようにしていた。

僕のクラス(7組)の担任の先生は、技術家庭の先生で、
体格もガッチリしていた男の先生だった。
いつもハキハキと話し、みんなに優しいが、怒ると厳しい。
普段はとても楽しい、面白い感じの先生であった。
うちの母は、「アントニオ猪木」に似ていると言ったが、
表情はともかく、アゴは似ていなかった。
しかし、その年の学校祭の、クラスの旗のテーマが
「闘魂」となったのは、もしや何か関係あるのだろうか(?)

ともかく、担任はそういう感じの人だった。



−−−話は変わって、2年になってクラスも落ち着いた頃、

「今はインベーダーよりも、進化したゲームがあるんだよ。」

親友のM君だった。

なんでも敵は、インベーダーにはできなかった、突入攻撃ができるらしい。
彼の誘いに、喜んでのった。

ある休みの日、僕とM君とW君は、自転車でまた街まででかけた。
このころはゲーセンというと、不良のあつまりというイメージで
怖いのと良くない場所というイメージがあったので、そういう場所には行かず、
デパートの中にあるゲームの場所へ行った。
デパートのゲームで大きい所と言えば、このころは、

「ニューギンザ」という建物で、

確か隣にあるホテル、式場とつながっていたと思う。
みんなからはよく「ニューギン」と呼ばれていた。

エレベーターで一番上の階に上がり、中へ入ったら、
「あった、あった。」
お目当てにしていたギャラクシャンというゲーム、
隣には、それまでのゲームのイメージであったシューティングの常識をくつがえし、
迷路の中を戦う、「平安京エイリアン」があった。
もちろん、今までにあったインベーダーゲームなどもあり、
色々とそろっていた。

100円は高いので、各自1ゲームずつやることにして、
まずはM君から始めた。

インベーダーとは違って、音も派手で格好良かった。
カラフルな敵が、攻撃をしに下へ降りてきたのを打ち落とす様子に見入っていた。

その時である。

「おーーーー、おめぇたち
何でこんな所に来てんのよぉーーー!!!」


思わず、恐怖の気持ちが身体をよぎった。

そこには、中学1年時代のいじめっ子の1人のSと、その仲間たちが立っていた。
M君とW君にはともかく、僕にとってはいじめの怖い存在だった。

「あらあらあら、何で攻撃しないで逃げてんのさ〜〜〜。」

僕がゲームをプレイしていたとき、彼らはちょっかいかけていたが、
特に騒動もなく、やがてはその場を去っていった。

初めて来たときはこんな感じで、怖かったけど、ゲームは楽しかった。
また、いじめっ子はaでなかったのはまだよかった方だった。

それからも時々、ここに寄っては、
ゲームをしたり見たりして楽しむことをやっていたものである。


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子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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