フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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強歩大会
時期はかなり暖かくなったころか、夏が過ぎ去ったころと思うが、
確か2年生の時である。
うちの高校の強歩大会があった。10km以上の道のりを最後まで歩き、戻ってくるものである。
開催されたのは、高校に在学中はその時1回だけだった。
歩いて行うとは言ったが、実際は、走れる人はとにかく走って戻ってくることを期待され、
特に運動部では、先輩から走るように言われた。
部活で、一度だけそのコースを走った。
運動が苦手な私にとって、当然ながら周りの人より遅れ、
先輩たちからせっつかれた記憶がある。また、上り坂が多いのでかなりしんどかった。
強歩大会の案内がガリ刷りで配られたが、
内容を見てなんか嫌な気持ちだった。
各ポイントの坂道について書かれていたが、
内容は、1か所を除いてみな「ゆるい坂」。
それは、普段僕が走らされている、自分にとってきつい坂道もみなそう書かれていた。
「それじゃ、『ややきつい』と書かれている残り1つの坂って、どんな坂なんだい?!」
あとでそこを走ったときは、自分にとってものすごい急な坂だということがわかった。
本番のとき、何とか走ってはみたが、やはり運動部の生徒からはどんどん抜かれるはめになった。自分にとってはなぜこんな所を軽やかに走れるのだろうという感じだった。
結局、自分はマイペースで走ったり歩いたりしながら進んだ。
折り返しを越えた同じ部活の生徒とすれ違う時だけは、走っている所を見せてごまかそうと思ったが、それでも、「遅い」「ちゃんと走れ」と言われるのだった。
ようやくゴールが見え、これで今日の勤めは終わった…と内心ホッとした。
学校に戻り、帰る時間まで待とうと思った。しかし、ホッとしたのもつかの間。
放課後、その日も部活があることがわかった。
しかも、その日もまた、嫌な思いのする時間を過ごすのであった。
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新学年
高校生になって1年が過ぎ、いよいよ2年生。
今年も新しい教科書を購買部で買って新しいクラス。また、新鮮な気持ちで始まるのだった。

…て言っても、中学時代のような、クラスを一新するのではなく、
僕の場合は情報処理科で、クラスは2つ。その中で調整するので、あまりクラスメートは変わらなかった。
残りの6クラスは商業科で、この中で調整するので全く変わるのであるが、僕にはどうでもいい。
ちなみに、商業科は圧倒的に女子生徒が多いので、女子クラスがいくつかある。
僕は7組から8組になった。クラスの担任は、今年も同じ組にいるため、
僕の担任は、8組の新しい先生になった。
今度の担任は、前よりいくらか若い。どちらかといえば、柔らかい感じだった。
また、選択科目があり、その授業のときは、各々選択した科目を受けるクラスに移動した。
その時には、7組の教室で授業を受けることがあった。

部活に、新しい後輩が入って来た。
ここの部活では、あいさつとして、目上の部員に会う時は「ちわっ!」と言い、帰るときは「したっ!」と言うのが礼儀だった。
新しい人たちが、自分に会った時も元気よく「○先輩!ちわっ!!」と言ってくれるときは、気持ちが良かった。
しかしながら、これが後に、さらにとんでもない嫌な事に発展していくのを、この頃は予想だにしていなかった。

それはそうと、
体育館は、いくつかの部活で交代で使用していて、不定期であるが最近の予定は決まっているようである。
体育館でできない日は廊下で筋トレしたり、天気のいい日は外で走る。
運動の苦手な僕にとっては熾烈な道であるが、選んだものだから仕方がない。
外での走りは、近くにある旭展望台というところまで、ひたすら上り坂を走る。1.5kmくらいある。
上では基礎トレーニングをして、また戻る。
廊下でやるときは、空気いす(90度と言っていた)や腕立て、腹筋、背筋などをやった。
他の人たちより、全然耐えられず、ギブアップが早かった。どうしてスポーツが断トツで苦手なんだろうと思った。
でも、体育館以外での練習は比較的終わるのが早く、
「じゃ、あがるぞ!!」という言葉を聞いてホッとしていたのをおぼえている。

話は変わるが、思春期のせいか、自分は女子の多くからは好かれていないと思っていた。
情報処理科で、中学でクラスメイトだった女性からは、触れただけで仲間と一緒に気持ち悪がられた。
しかし、他のバスケットボール部のある先輩女性が、ランニング等で僕とすれ違うといつも、
「SEXY~」と言われ、何か意味がよくわからずおかしかった。
自分も女っ気がなかったし、別に男女ウンヌンのことについては気にも留めていなかった。
これがもともと行きたかった高校に入れたなら、人並みに恋もしていたのかなと思うことはあったが。


コンピュータとの出会い(3)
「おめぇ、キャンプやめたんだったら何で補習の後に部活出ねぇんだよ!!」

決まって、嫌がらせを言うのは同級生数人の部員である。また、今回のこのことは後々まで言われ続けるのである。

先輩部員は厳しかったが、それでも同級生から受けた仕打ちに比べれば、比ではなかった。
更に、このころは自分が集っている教会についても彼らから悪く言われ続けていた。
この迫害は、卒業する前で続いた。

今思えば、彼らの立場から見れば、クラスでは自分たちを怒らせるような態度はするし、
部活ではとにかく大会で勝つことだけが目的なのに、一人だけ休んで教会の活動には喜んで走るし、
体育会系の性質から見れば苛立ちやすいのだろうと思う。
こちらは、部活の目的なんて何も考えずに、ただひたすら運動し続けるという目的で参加していた。
自分も対象に入る最後の大会を終えて、みんなより一足先に退部するまで、とにかく耐え続けていた。

…そんな僕にとって、部活の苦痛を忘れるほどの楽しいことがあった。

前にも書いた通り、この頃はよく帰りがけに街の電気屋さんに寄っていた。
中学や高校で顔を覚えている学生がよく、展示されているパソコンで遊んでいた。
大概、何かゲームがロードされていて(この頃のパソコンは、インストールするハードディスクもなく、
OSもなかった。電源を入れた後でカセットテープからプログラムをロード(取り込む)して
動かしたり遊んだりするタイプのものだった。電源を切ればプログラムは全部消える。)、
そこに学生が群がって来て、遊ぶのであった。たまに、ソフトを買ったり作ったりした人が
それを持ってきて遊ぶこともある(そういう時は、その人と友達が貸し切りになることが多い)。
しかし、彼らがそれを残して帰ってしまうと、自分もそのゲームをやることができ、
そういう時はラッキーだった。
店の人も、彼らをとがめたりせず、自由に使わせてくれていた。
誰もいない時は、僕がそのパソコンを占有して、プログラムを打ち込んだりした。
プログラムといっても、当時自分で打ち込めるものはBASICという言語で、
慣れればすぐに覚えることができる基本的なプログラムである。
JavaやCに比べれば、全然簡単なものである。
しかし、その反面、そのプログラムは処理スピードは遅く、あまり凝ったこともできない。
機械語を直接入力してプログラムすれば、かなりスピードは速くなるが、
さすがに、僕にはそこまで頭に入れることはできなかった。
また、店にはプリンタがないので、プログラムリストを印刷できず、
画面だけで調べなければならなかった。それで、複雑なプログラムを作ろうとした場合、
どうしてもうまく動かせず、挫折したことも多々あった。
雑誌を買って、面白そうなゲームがあれば、そこに載っているプログラムを
ひたすら打ち込んでゲームを作って遊んだこともあった。

そして、夜の6時、7時くらいになって(時には閉店するまで)、
暗くなってから家に帰ることがよくあった。

そのことについては、親から遅いと怒られたかどうかは覚えていないが、
今は懐かしい思い出となっている。

補習(3)
「じゃあね、○月×日に来て下さい。」

その、商業経済の先生の言葉だった。
補習を、別の日に自分だけしてもらえるものだった。

僕は、ほっとしたような、嬉しいような、そんな気持ちで家に帰った。

補習に関してと、キャンプのキャンセルについては、母は怒らず、笑いながら、

「そりゃ、あんたが成績とれなかったもん、仕方ないでしょ。」

と言った。

僕は母に、商業経済の先生が補習を別の日に特別にやってくれることを話し、

「あ、担任の先生に話さなきゃ。」と、
担任の家に電話をかけた。

「……商業経済の先生と話して、別な日にやってもらうことになりました。」

ところが、その担任の電話での返事は、

「あんたね、それがわがままだって言うんだよ。」

自分には予期しなかった言葉だった。
てっきり了解してくれるだろうと思っていただけに、頭が混乱して、
その電話を母に代わってもらった。

その時の母の応対は、

「はい、」

「…そうですね。」

「すみません…」

「申し訳ありませんでした。」

そのような返事を並べていて、

僕は嫌な予感がしてきた。


電話が終わった後のこと。

今度は、本当に母は怒っていた。
しかも、悔しそうな、涙流しながらの様子だった。

その内容は、僕がわがまま一点張りで、
ついに先生も匙を投げたという。
こんな生徒見たこともないというものだった。

ついに、父から今回のキャンプはやめて、きちんと担任と補習の教師に謝るよう言われた。
ここまで悲惨な状況に、僕もあきらめざるを得なかった。

それから、それぞれの先生にきちんと謝り、元の日に補習を受けることとなった。
この経験で初めて理解したのは、
人生の中で、自分にはどうすることもできないことがあると言うことと、
おっかないと思っていた人(商業経済の教師)にも、情があると言うことであった。




そして、二日間の補習が終わり、帰るとき、同級生で同じ部活の男子生徒とすれ違った。
この人が、僕がキャンプで楽しい思いしているのを我慢して、ちゃんと補習に出ているんだぞという光景を
見てくれているなら、次に部活に出るときには、部活サボって遊びに行ったなんて罵声浴びなくて済むだろうな、
と、少しほっとしたような気持ちになった。(実は、キャンプの事で休みたいことを言った時、同級生の部員たちから
「なんで部活サボって遊びに行くんだ!」とさんざん言われたので)

…ところが、これが後に、とんでもない事につながっていくのであった。


補習(2)
僕は補習の日をずらしてほしいと思い、先生にお願いしに職員室へ行った。
今となっては何故か詳しくはおぼえていないが、担任の教師にお願いしに行った。
その担任は、他の教師よりもいくらか年配だったが、体力も意思も強そうな人で、時には厳しい一面もあった。
いつもは、確か情報処理科の教師をしていたと思う。
その先生からあっさり言われた言葉は、

「あんたね、それはわがままだよ。」

ということから始まった。

確かに、傍からみれば、学校で正式に決めたことに対して、しかも勉強がよくわからない生徒たちの
救済のためにも行っていることが、1人の生徒のために教師がわざわざ仕事に来なければならないのは
おかしな話であり、普段から家でももっと勉強していればまぬがれることでもあったかもしれないのに
勉強していなかったのは生徒側の責任であると言えるのであるが、
当時の自分にしてみれば、キャンプ活動がどれだけ楽しいことであり、自分にどれだけ必要だったか
今回この機会を逃したらもう機会はないかもしれないと必死で考えていたのである。

その担任は、「じゃあね、この件についてあんたの親御さんに聞いてみるよ。」
と言って、うちに電話をした。
僕は、これで何とかなるという期待を持ちながら、少し気持ちが落ち着いた。

しかし、先生が電話を切った直後、

「お母さんね、キャンプの話断るって。」

そう言われた瞬間、自分の願いや思いがすべて、もろくも崩れ去っていくのを感じた。

「大の大人が、泣いててどうするんだ。」

慰めの言葉も自分には伝わらず、泣き続ける自分があった。
悔しさや絶望感、更には帰ったら母親に怒られるのではという悲しさがあった。

そこにあの、商業経済の教員も来て、訳を聞いた。
同情してくれたのか、補習の日程を調整してくれる話をしてくれた。

あんなに悲しかった僕の気持ちが、再び落ち着いてきた。

担任の先生は、その先生とよく話をして、その結果をまた僕に伝えて欲しいと言った。

僕はキャンプに行けるという希望が再びわいて、喜びながらその先生と話をしにいった。


(続く)



プロフィール

フッジィ

Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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