フッジィの思い出日記
私の子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどをブログ形式で紹介します。更新は不定期です。 みなさんもこれを読んでフッジィとはどんな人か、見つけてみて下さい。
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学校祭
高校1年生になって、しばらくたった頃。

この頃は、中学を卒業したばかりで知っている人もあまりいない。いじめで悩ます生徒もいなく、
比較的伸び伸びと過ごしていた。
クラスで、委員を決めることになった。みんななにか役割が与えられる可能性が高いので、
僕は自分で立候補した。役割は規律委員。規律を守るのは僕にとっては苦労しないし、
やることも面倒なことは特にない。生徒会から見れば、楽にできるものである。

クラス中の規律委員が集まって、ある日、規律委員会が催された。
委員長は3年生。評判の美人さんで、明るく気さくな方だった。私も可愛がられた。

また、この頃は学校祭の時期で、色々と楽しい時間を過ごした。
僕たちのクラスは、そのころ流行っていた「水曜スペシャル」(知っている人もいると思う)。
謎の原住民を追って死闘を繰り返す、そんなストーリー(CMつき)。
実はその原住民は僕が抜擢され、ついでにCMの役もやらされた。(そのころ流行っていた新グロモントのCMでセリフが、「頑張ります!!」という役であった)
幻の原住民(僕)を探して入り込む中、何人かの取材者が虫やその他の事故で死んでいく中、ついに、その原住民を見つけ出すという、
通常の番組には(死人が出るなど)あり得ない展開で演ずる面白さがあった。
結果は大爆笑!!

あとは、クラス展示を見て楽しんだりしていた。
クイズ100人に聞きました(当時では有名な)は、かなりリアルに進行されているので毎日見に行っていた。
パソコンを持参して、ゲームセンターをやっているクラス展示もあった。
高校生時代の、楽しかった思い出の一幕であった。


雪かき
高校生だった頃と思う、楽しかった経験の一つに、ボランティア活動があった。
とはいっても、覚えているのは冬の日の屋根の雪下ろし。独居老人宅の所を回って、みんなで屋根から雪をおろすものである。
教会の会員の一人が、大学教授やボランティア団体の代表をやっていて、その団体を通して家々を回った。
僕にとっては、雪かきは結構楽しくて、雪をどけるだけで喜ばれるなら楽なものだと思った。
今回は、ある年配の教会員の家で雪かきをした。
終わった後で、あったかい煮込みうどんをごちそうになった。
食べることは好きで、うどんもおいしかったけど、雪をかいただけでこんなにしてもらえるのは、
かえって申し訳ないな、と思った。
でも、これからもボランティア活動は続く。


コンピュータとの出会い(2)
この間の教会の人の家でマイコンを見せてもらった話の続き-(久しぶりの投稿)

そのころは、BASICというコンピュータのプログラミング言語が主流だった。
人にわかる英語の単語を使って、コンピュータに「これやって」「あれやって」と命令する一覧のことを、プログラム。
それを使って、ゲームなどを作っていくものである。
「2001年宇宙の旅」
「パックマン」
「ギャラクシアン(単純なものですが)」
「ブロック崩し」
等のゲームをやらせてもらった。
このころのものは、今のゲームアプリには全然及びもつかない、単純なものばかりであったが、
僕にとってはワクワクするものばかり。うちも欲しいなと思った(後に、思いがけないところからコンピュータをもらうことになる)。

学校帰りの、小樽の街の中、
当時は3か所くらい大きな電気屋さんがあった。
この頃からマイコン(後のパソコン)が大々的に売り出されるようになり、企業でも徐々に使われるようになってきた。
NHK教育でも「マイコン入門」という番組が始まり、その雑誌も買った。
プログラム言語や操作の仕方など、僕の頭の中にすらすら入っていくのをおぼえている。
当時は、N社のパソコンが主流で機種は、PC-8001。NHKの雑誌もその機種が取り上げられていた。
やがて、電気屋にそのパソコンが展示してあり、多くのマニアが自由に使用しているのを知ることになった。
そしていつしか、僕も興味をひかれ、帰りがけには電気屋に入りびたりの生活が始まるのである。

コンピュータとの出会い
「遅刻だ!遅刻だ!」

週に半分くらいは、遅れてバスを選ぶ日が続く僕の高校生活だった。
駅前停留所には、同じ方角のバスに乗る私立の男子生徒がたくさん並んでいた。
その姿の怖いのなんのって、いつ絡まれるのではとびくびくしていた。

こんでいて乗れなくて、別の停留所から別の便で乗ろうとする。
そちらもすごくこんでいた。
後ろ側には、リーゼントパーマのちょっと怖そうなあんちゃんが
いつも同じところで並んでいた。

バスは予定時刻にはなかなか来なくて、そのうちどんどん私立の学生が増えていく。
いいだけ待たされた後にバスが見えた途端、
後ろに並んでいたおっかなそうなあんちゃん達が、ぞろぞろ横入りし
ドアの周りに群がるのである。そして、一番早く入った学生が、
一番後ろの長い席を陣取っていく、今も昔も変わりない。
遅れたときは、いつもこのような光景を見るのであった。

バス券を買うときに寄る、ターミナルの隣では、
ゲームセンターのギラギラうるさい音が聞こえてくる。
その頃は、
ゲームセンター=不良のたまり場
というイメージだったので、
一人で入ることはなかったが、
初めてインベーダーゲームを見たときのあの感動が頭に残っていたので
全く興味がないわけではなかった。


そんな頃ー

若い男性の活動で、ある教会員の家に招かれ、
そこで初めてマイコンというものを見せてもらった。
ある工業系の大学教授の持っていたそのコンピュータ、
当時はマイコン(マイクロコンピュータ)と呼ばれていた。
今で言うパソコンのようなもので、ブラウン管のような大きいディスプレイ、
キーボード、そして本体で構成されていた。
コンピュータはどんなものか教えてもらうのが目的のようだったが、
実際はその時間で、みんなでコンピュータゲームをやっていた。
当時はハードディスクやマウスなんてものは存在せず、
記憶装置は何とカセットテープレコーダーで、
入力もアルファベットや数字だけで、漢字なんてものはまだなかった。
かろうじて半角カタカナはあった。
一つのゲームを読み込むのに5分以上かかった。
しかし、当時の僕たちにとっては、それはワクワクする時間であった。

(続く)
部活
高校生にもなると、中学校以上に部活について盛んに行われる。
上級生は、必死になって新人を取り込もうとする。そんな頃の話。

僕は中学生のときは卓球部、美術部、音楽部と1年毎に部活を変えていた。
高校に入り、教会員の同じ高校の先輩のアドバイスや、他の人の勧めもあり、
僕は体育系のクラブに入ることにした。文化系の方が僕には合っていたと今では思うのであるが、
理由は何の事ない。とにかく苦労して一生懸命部活に励むことが立派であるという、
自分のプライドにも似た、今思えば変な持論からであった。
もっと自分らしさ、自分のやりたいことを素直にやればよかったのに…と今は思うが、
これらの経験も、勉強となるもの。
ただ、その頃の部活の生活も、自分にとって嫌な経験の連続となるのであった。

僕が選んだのは、バドミントン部。フットワークがかなり大変ということで、そこにしようと思った。

実際に入ってみて、僕はダントツで最下位の能力だった。
先輩が厳しいのは我慢出来たが、
コミュニケーションがうまく出来なくて、いつも同年代から怒られていたのは嫌だった。
自分が先輩となったとき、後輩からなめられた。
泣かされていた日が、毎日のようにあった。

ただ、その日の屈辱はすぐに忘れ、
家や教会、自分の好きな場所では別の事を考え楽しむ自分があった。
結構、僕はこの部活で何を学んだのだろう?
毎日ほとんどは1人で壁打ちしていて、
気がついたら3年間同じ部活で終わったのであった。

部活の話は、(嫌な経験はあまり書きたくないので)またたまに書く程度にしようと思う。



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Author:フッジィ
子供の頃からの思い出・エッセイ・よかったことなどを紹介します。みなさまにとってほんわかするような「癒し(いやし)」的なものになれればと願っています。



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